アートプログラム青梅のおまけ
≪アートプログラム青梅2009≫は昨日で終了しました。
ただ、当館に展示なさっている作間敏弘さんが作品を撤収されるのが26日(木)ということになりましたので、明日25日は、おまけで作品を公開することにしました。
まあ、庭に展示されている作品はそこにある限り非公開にしようがありませんし、企画展示室にある作品は扉を開けておけばいいだけですから、1日会期を延長したところで、特に苦もありませんからね。
最終日に閉館時間に間に合わなくて作品を観そこねた方は、ぜひどうぞ。
≪アートプログラム青梅2009≫は昨日で終了しました。
ただ、当館に展示なさっている作間敏弘さんが作品を撤収されるのが26日(木)ということになりましたので、明日25日は、おまけで作品を公開することにしました。
まあ、庭に展示されている作品はそこにある限り非公開にしようがありませんし、企画展示室にある作品は扉を開けておけばいいだけですから、1日会期を延長したところで、特に苦もありませんからね。
最終日に閉館時間に間に合わなくて作品を観そこねた方は、ぜひどうぞ。
先日もご案内した≪青梅ミュージアムロード アカデミハイク≫の募集ですが、12月12・13日開催の分については昨日を締め切りとしておりましたが、まだ定員に余裕がありますので、しばらく募集を継続いたします。
詳しくはこちらをご覧下さい。
リンク先のページは締め切りがそのままになっていますが、関係ありません。
ご興味のある方はぜひご参加ください。
先日行った文学散歩では、玉堂美術館で小澤萬里子館長に解説をしていただきました。
小澤館長は川合玉堂の孫にあたる方です。
その解説の途中で、突然、吉川英治から川合玉堂に宛てた葉書が見つかったので差し上げます、と言って、葉書を1枚ご寄贈くださいました。
消印が薄くなっていてわかりにくいのですが、昭和21年9月20日のものと思われます。
何か依頼ごとでお使いで吉川英治の代わりに文子夫人が川合玉堂を訪ねた際に、玉堂が日課としていた近隣の山道の散策の際に摘んだ野の花と栗の句を書いたものを文子夫人に託したことへの礼状、といった内容になっています。
その葉書の末尾に、いままで未見の句が2句書き添えられていました。
画を拾ふ人にやあらむ露しとど
露しとど倦むこと知らぬ道の人
いずれも川合玉堂を詠んだ句のようです。
川合玉堂の没後、その追悼展を鑑賞して書いた「美翁玉堂さんをしのぶ――川合玉堂遺作展を見て――」(初出『毎日新聞』昭和33年10月4日)という文章があります。
その中で英治は
木も水も山も、奥多摩の自然は、すべてこの希世な画家から生まれてその土地にあるものみたいに、混然としていた。こんなにも環境と作画との一致をしめした画家は少ないであろう。
と川合玉堂を評しています。
その言葉からすると、「画を拾ふ人」というのは、自然と溶け合った画境にある川合玉堂にとって、絵を描くことは作為的な創作ではなく、そこにある美を拾い上げるようなものだ、というようなニュアンスであると、私には受け取れます。
一方、同じ文章で英治は、昭和28年に青梅から転居する挨拶のため玉堂宅を訪ねたところ、この年80歳になる玉堂が新たに画室を建てていることを知り、「なお新たに精進の仕事場を普請している気魄には私もほんとに頭が下った」と記しています。
まさに「倦むこと知らぬ道の人」です。
川合玉堂への深い敬意が感じられる2句です。
どうにも文章を書く気が起きなくて、この1ヶ月ほど告知以外の記事を書いていませんでしたが、実際には色々ありました。
10月17日には、無事に≪宇江佐真理さんをかこむひととき≫を開催し、終了後には珍しく私も誘われたので、宇江佐さんとの会食に同席しました。
悪い意味での作家臭のない、さっぱりした方で楽しかったのですが、ちょっと文学館職員としては耳の痛い話もあったりして、気をつけようと思ったことでした。
10月31日には、私用を兼ねて、現在資料を貸し出し中の一葉記念館・荒川ふるさと文化館・文京ふるさと歴史館を見学に行きました。
関係者面してタダで入館するのは好きではないので、こっそり黙ってお金を払って入るつもりでしたが、一葉記念館では資料を借りに来た学芸員に見つかってしまって、せっかく払った入館料を返してもらった上にお土産まで貰ってしまい、なんだか悪いことをした気分になってしまいました。
11月1日には、吉川英治とも親交のあった作家・吉屋信子の姪御さんがご来館になりました。
実は、その姪御さんの娘さんが昨年実施した文学散歩に参加なさっていたのですが、姪御さんの方は高齢のため参加を断念されたので、改めてお出でになったのでした。
11月11日には、その文学散歩の第2回を実施。
あいにくの雨でしたが、参加予定者の皆さんが全員ご参加くださり、とても感謝しています。
また、途中、宗建寺では、ご住職のご配慮で、本堂を使わせていただき、雨に濡れずに済んだのは、大変ありがたいことでした。
この場を借りて、改めて御礼申し上げます。
11月12日には、香川県の西日本放送のラジオ番組の電話インタビューに出演。
これが関東圏のラジオ局なら≪アカデミハイク≫のいい宣伝になるところだったのですが、香川ではそうもいかず、ちょっと残念でした。
同じ日に、地元の多摩ケーブルネットワークというケーブルテレビ局の撮影もありました。
玉堂美術館などをめぐる番組の一環で、≪アカデミハイク≫の紹介もしてくれると言うので、ありがたい限り。
昨日から1週間、くり返し放送されるようですから、視聴可能な方はぜひご覧下さい。
≪アカデミハイク≫の宣伝と言えば、11月7・8日に行われた≪おうめ産業観光まつり≫に青梅ミュージアム協議会としてブースを出して、PR活動をしてきましたが、さて、効果の程はどうなるでしょうか。
他に、告知し忘れましたが、10月27日~11月15日(つまり明日)には、例年行っている草思堂菊花展も開催していました。
ついでに言えば、地元柚木町の自治会からの依頼で、10月24・25日に行われた自治会の文化祭にも、ちょっと資料を展示しました。
会場が自治会館なので、レプリカしか出せませんでしたが。
そんな、1ヶ月でした。
青梅ミュージアム協議会では、来る2009年12月12日(土)・13日(日)、および2010年2月6日(土)・7日(日)に《青梅ミュージアムロード アカデミハイク》を実施いたします。
青梅ミュージアム協議会は、青梅市内の多摩川上流域に点在する玉堂美術館、吉川英治記念館、青梅きもの博物館、たましん御岳美術館、澤乃井櫛かんざし美術館の5館により、相互交流と、地域に即した活動展開を目指して、平成12年に設立されました。
これらの5館は、それぞれジャンルも特徴も異なる博物館施設ですが、青梅市のみならず日本を代表する文人であり、ともに文化勲章受章者でもある川合玉堂と吉川英治を核に、日本の美術(玉堂美術館・御岳美術館)、文学(吉川英治記念館)、伝統工芸(櫛かんざし美術館・青梅きもの博物館)という《日本の美と心》を凝縮したミュージアムであるという点で共通しています。
また5館を取り巻く自然と風土は、川合玉堂や吉川英治だけでなく多くの文化人が心から愛したもので、それらを守り伝えることも青梅ミュージアム協議会の目指すところです。
そこで今回、青梅市内の多摩川上流域を〝青梅ミュージアムロード〟と名付け、多様な文化的遺産と自然美が存在することを広く伝えるべく、〝スタンプハイク〟という形で地域内を巡るイベント≪青梅ミュージアムロード アカデミハイク≫を企画いたしました。
実施要項と申込み方法はこちらをご覧下さい。
参加料1500円で、加盟5館を見学できるのは、通常料金でまわった場合のおよそ半額で、大変お得です。
また、入館証代わりに、青梅を発祥とするタオルメーカー・ホットマン特製のトートバッグを配布します。
ぜひご参加ください。
なお、この事業は文化庁の「平成21年度美術館・博物館活動基盤整備支援事業」に応募し、採択された「“青梅ミュージアムロード”整備推進事業(「青梅で日本に出会おう」運動)」の一部を成すものです。
今回は、このスタンプハイクの他に青梅市内の各学校に児童・生徒が無料で5館を見学できる『学習パスポート』を配布する事業も行います。
こちらは、地域文化の次世代への継承を目的としたものです。
今年もアートプログラム青梅に会場を提供しています。
今年の総合テーマは「空間の身振り」で、当館の展示作家は作間敏宏氏(明星大学)です。
作品のタイトルは「colony」で、吉川英治が使用していた本棚と、吉川家で使用していたテーブルを使って、構成されています。
また、庭園には無数の風車によって、吉川英治への追慕を表現しています。
明日11月7日(土)から23日(月)まで開催します。
また、明日7日の11時20~40分には、作間氏によるギャラリートークも行われます。
前日の夜になってからの告知で申し訳ありませんが、ご興味のある方はぜひお越し下さい。
なお、今年のアートプログラム青梅は、基本的に入場無料なのですが、当館のみは通常通り入場料を頂戴します(チラシ持参で割引あり)。
ご了承ください。
本日から11月1日まで、表記の展示を行います。
上位の入賞作品はこちらでもご覧いただけますが、展示では入選の20作品も展示しています。
ご興味のある方はぜひ。
そう言えば、しばらく前にNHKで、吉川英治の「この先を考えている豆のつる」という川柳をテーマにした写真を募集したそうですね。
タイミングが合わず、番組を見られませんでしたが、番組を見た吉川英明館長によれば、結構面白かったとのこと。
実は、この写真コンテストを始める時に、どういうコンセプトにしようかと議論する中で、私は≪川柳写真≫というのを提案しました。
昔、流行った≪川柳漫画≫をイメージしたもので、応募者の自作川柳とそれに合った情景を写真にしたものをセットで応募するというスタイルでしたが、選考が難しいという理由でボツになりました。
難しいというのは、川柳を主で見るのか、写真を主で見るのか、川柳は面白いが写真はダメというような作品はどうするのか、というあたりですが、上記のような話を聞くと、強引にやってしまえば、面白かったかもしれないと、ちょっと惜しい気もします。
過ぎたことですが。
9月の終わりに遅い夏休みをとって京都に行きました。
たまたま東寺の観智院が特別公開されているというポスターが目についたので、予定になかったのですが、立ち寄ってみました。
というのも、この観智院には宮本武蔵が描いたとされる障壁画があるからです。
実は、30数年前、小学生の時に一度、観智院を見学して、武蔵の障壁画も目にしているのですが、その時はまさか大人になって武蔵の評価を高めた小説の作者の記念館で働くことになるとは想像もしていませんでしたから、「へぇ」と思っただけでした。
そこで、改めてちゃんと観てみようと思ったわけです。
建物の中に入ると、ちょうど解説員の方が説明をなさっているところでした。
国宝となっている観智院客殿の上段の間の床に描かれた「鷲の図」と襖に描かれた「竹林の図」が、武蔵の絵だとされています。
説明では、吉岡一門との闘いを終えた武蔵が、3年間、この観智院に身を潜め、その間にこれらの絵を描いた、とのことでした。
観智院客殿は慶長10年(1605)に再建されたものとのことですが、武蔵が吉岡一門と、蓮台寺野・蓮華王院・一乗寺で死闘を繰り広げたのは慶長9年(1604)とされているので、3年の滞在は長すぎる気はしますが、年代的なつじつまは合います。
説明には出てきませんでしたが、「芸術家 宮本武蔵」(宮元健次 2003年 人文書院)によると、同じ客殿の対面の間の襖と帳台貼り付けの「楼閣山水図」は、武蔵の絵の師とも目される海北友松の筆になるものだそうです。
そう聞くと、師弟が並んで絵を描いている姿が、頭に浮かびます。
状況的には、武蔵の絵であってもおかしくはないわけですが、実物はどうでしょう。
30数年ぶりに絵の前に立って、かつての記憶が蘇りました。
「何が描いてあるのか、わからへん」というのが、あの時「鷲の図」に対して抱いた感想でした。
というのも、絵の損耗が激しく、不鮮明だからです。
今回まじまじと観て、鷲の頭がどこなのか、ようやくわかったような次第。
ただ、武蔵の絵とされるものには鳥を描いたものが多く、絵の専門家ではない私の目には、他の作品と大きくかけ離れるものではないように思えました。
ただ、襖絵の「竹林の図」に関しては、どうなのか、という気がしました。
この「竹林の図」に描かれた竹は、節の部分を太く強調した、現実離れしたものになっているのですが、私は武蔵の絵に関してはリアルな作風であると感じているので、その点がしっくりこないのです。
これはあくまでも素人の感想です。
観智院の秋の特別公開は11月までやっているようなので、気になった方はご自身の目で確かめてみて下さい。
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