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2005年5月31日 (火)

映像化された「新・平家物語」と言えば、やはり今はなき大映で製作された映画三部作がその筆頭に挙がるでしょう。

とりわけ昭和30年に製作されたその第1作は、監督が巨匠溝口健二、主演が永遠のスター市川雷蔵ということで、初公開から半世紀を経た今でも、話題に上ることの多い作品です。

昨年は、市川雷蔵の映画デビュー50周年を記念して、この作品のデジタルリマスター版が製作、公開されました。

旧作のデジタルリマスターは、日本映画では初めての試みだそうです。
遅きに失した感はありますが、これをきっかけにかつての黄金時代の日本映画がどんどんデジタルリマスターされれば、嬉しいことです。

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2005年5月30日 (月)

映像化された「新・平家物語」の世界

明日から上記のタイトルの特別展示を行います。

「新・平家物語」は、吉川英治にとって畢生の大作であるのみならず、連載された『週刊朝日』を100万雑誌に押し上げたと言われるほどの人気作品でもありました。
そのため連載中から、劇化、映画化の話が持ち込まれ、結果、現在までに大映映画の三部作、NHK大河ドラマを代表に、歌舞伎、長唄、人形劇と、様々な形で作品化されています。

今回はそれらに関する資料を集めた特別展示です。

是非お運び下さい。

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2005年5月29日 (日)

明日30日、エフエム富士の“WEST TOKYO FRIENDSHIP”というコーナーの電話インタビューに出演することになりました。
オンエアは午前9時20分頃になります。

2~3分の短いコーナーですが、もし機会がありましたら、お聴き下さい。

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2005年5月28日 (土)

庭石と言えば、いま入っている植木屋から、この庭には石が少ない、と言われたことがあります。
一般的な作庭法から見て、庭石の数が少ないし、あまり目立たないようにしてあるように感じる、と言うのです。

プロの目というものは大したものだと驚きました。

吉川英治は『奥多摩閑話』という随筆にこう書いています。

 もと自分の家の庭には、たくさんな石がるいるいとあった。それを終戦後、私はみな土中に埋けて平庭にしてしまった。知る人がみなもったいないことをしたという。だが何分にも、この地方は“石どころ”で、東京への庭石は、むかしから殆どこの附近より送り出していたほどである。村の道、畑、山ぞい、どこを歩いても名石だらけだ。名石も過ぎては名石ではないことになる。せめて庭のうちだけでも余り石を見ないように私はみんな元の土のうちへ返したのである。

つまり、吉川英治は意図的に石を隠したわけですが、植木屋はそれに気づいたわけです。

昨日書いた石も、単に池とともに埋められたというだけでなく、そういう意図もあったのでしょう。
となると、これを再利用するのは、吉川英治の意図に反することなのかもしれません。

しかし、いまや村の道は拡張、舗装されて激しく自動車が行き交い、畑も山ぞいも次々と宅地に姿を変えています。
当たり前のように転がっていた“名石”たちも、もう探さなければ気が付かないような状況になっています。

つまり、いつのまにか庭と周辺の石をめぐる立場は逆転してしまっているのです。

ならば、吉川英治の愛した庭の雰囲気を残しつつ、少しだけ石を目立たせてやっても、お叱りは受けなんじゃないかな、と考えているところです。

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2005年5月27日 (金)

来館者の方が通る順路の一部を少しいじりました。
母屋の周りの砂利道の部分です。

面白いもので、長い年月人が通っていると、自然と場所によっては土が堆積したり、逆に土が減ってしまったりして、地形が微妙に変化します。
母屋の西側、書斎の前あたりに、土や砂利が溜まってしまう場所があるので、それを漉き取って、平らにならし、あわせてその土に埋もれてしまっている昔の踏石を地表に出そうという魂胆でした。

その際に、どうしても邪魔になる石がありました。
その石は、踏石でもないのに順路のど真ん中にあるのです。
見たところ2~30センチ四方くらいの石で、今は数センチしか地表に出ていませんが、土を漉き取ると、当然より大きく地表に出ます。
通行の邪魔だし、危険です。
そこで取り除くことにしました。

一見簡単に取り出せそうでしたが、意外に大きく、結局ユンボウ(パワーシャベル)を使って、やっとのことで地上に出しました。
数百キロはありそうな立派な石でした。

古い人の話では、この庭にもともとあった池の縁を囲んでいた石のひとつだということです。

そう、吉川英治がこの屋敷を購入した時、庭には池があったのです。
しかし、吉川英治は、なぜかこの池が気に入らず、埋めて築山の一部にしてしまいました。
その時にそのまま埋められてしまった石だったのです。

ひょんなことで半世紀ぶりに日の目を見たこの石。
庭石としてはなかなか良いものです。
どこかに再利用しようと思っています。

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2005年5月26日 (木)

昨日はタイルを中心に書いたので説明が足りなかったかもしれません。

吉川英治記念館は、吉川英治が昭和19~28年に生活した屋敷の敷地内に建っています。
ここは、地元農家の屋敷を買い取ったもので、吉川英治が建てたものではありません。

屋敷は、江戸時代に建てられた母屋・蔵・長屋門と明治に建てられた離れで構成されています。
離れは洋館風建築になっており、そこに「本業タイル」が使用されています。

ところで、昨日触れた『日本のタイル』という本には面白いことが書かれています。

以前、吉川英治が作家デビューの頃、長野県角間温泉の越後屋で執筆していたということを書きました。
その越後屋が、「過渡期のタイルさまざま」というコーナーで紹介されています(紹介文では角田温泉と誤植されていますが)。
この越後屋の浴槽に「本業タイル」が使用されているのです。

当時は今と違って「本業タイル」も珍しいものではなかったのかもしれませんが、不思議な縁を感じます。

もっとも、模様の色が、書斎のものはコバルトブルー、越後屋のものは褐色なので、吉川英治自身が書斎のタイルを見て越後屋を思い浮かべたかどうかは疑問ですが。

なお、越後屋には、もうこの「本業タイル」の浴槽は残っていないようです。

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2005年5月25日 (水)

tairu
これは吉川英治の書斎の様子を復元している離れの建物のテラス部分に敷かれているタイルです。

この種類のものを「本業タイル」、より専門的には「本業敷瓦」と言います。

「本業」とは面白い表現ですが、これは産地である瀬戸における焼物の歴史に関係があります。

瀬戸は元々陶器の産地でしたが、19世紀初頭から磁器の生産も盛んになり始めます。
その際、新しく作り始めた磁器を「新製焼」と呼び、それに対して元から作られていた陶器を「本業焼」と呼んで区別するようになりました。

つまり、「本業タイル」とは、19世紀以降に作られた陶器質の敷瓦のことなのです。

「本業タイル」は明治20年代に生産のピークを迎えますが、ちょうどその頃、この吉川英治が書斎にした離れの建物が建設されたと言われています。

昭和の初期には生産が中止され、その後建て替えなどで数を減らしたため、現役の建物に使用されている例は、もうそれほど多くはありません。

この書斎の「本業タイル」は、INAX BOOKLETの『日本のタイル』(1983 INAX出版)にも紹介されている、その世界(どの世界?)では有名なものです。
常滑にある世界のタイル博物館の図録『世界のタイル 日本のタイル』(2000年 INAX出版)にも、写真が掲載されています。

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2005年5月24日 (火)

いま庭の手入れに入っている植木屋の棟梁は、先週、今週と二週続けて友人の結婚式に出るそうです。
ご祝儀が大変ですね。

結婚式と言えば、先日、長野県の某町役場の職員の方からこんな問い合わせがありました。

町長が結婚式で聞いた吉川英治の言葉の意味を知りたいと言っているので教えて欲しい、と。

結婚式で聞いたと言うなら

「菊作り咲き揃う日は蔭の人」

「菊根分けあとは自分の土で咲け」

の二句のうちのどちらかでしょう。

「菊作り」の句は、吉川英治の小説「新・平家物語」を大阪のひらかたパークで菊人形にした際に詠まれたもの。

吉川英治が菊人形を見学していると、そのそばにじっとたたずむ老人がいる。そこで係員に、あれはどういう人なのか尋ねると、菊人形にしたてるための菊を栽培した人だとの答え。それを聞いて詠んだのがこの句です。
したがって、本来は結婚の句ではないのですが、「丹精こめて育てた菊が、菊人形として脚光を浴びている時、その菊を育てた本人は、脇役となって見守るだけである」という情景が、子供が結婚する時の親の姿に重なるものがあるということで、結婚式のスピーチにしばしば引用されるようになったものです。

一方、「菊根分け」の句は、吉川英治が、友人の娘が結婚する際に贈ったもの。

これは言葉通り「生まれ育った家を離れて、今度は自分で新しい家庭を築いていきなさい」ということを菊に例えたものです。

と回答したら、「町長に説明しなければならないので、それを文書にしてFAXで送ってもらえないか」だって。

もちろん、それは一向に構わないのですが、だったら町長が直に電話してくれれば、それで済んだのにね。

これから六月にかけては結婚式が増えるでしょう。
どこかでこれらの句を耳にする機会があるかもしれませんよ。

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2005年5月23日 (月)

先日、当館のある青梅市の新任教師の方々がご来館になり、皆さんの前で吉川英治および記念館について話をしました。

これは、青梅市内の公立学校に新しく赴任した先生方を対象とした研修で、毎年この時期に行われているものです。
当館だけではなく、市内の主だった文化施設を一日で回るものです。

学校だけに、「大人の遠足」といったところでしょうか。

話の中で、ちょっとした意地悪として、国語科の先生に「吉川英治と同じ明治25年生まれの有名な作家は誰でしょうか?」と聞いてみました。

答えは芥川龍之介ですが、先生は不正解でした。

でも、この質問は、国語科の先生ほど答えられない質問かもしれません。

芥川は早くからその才能を認められ、東大在学中から作品を発表していました。
対する英治は、学歴もなく、多数の職を転々とした挙句に、30歳を過ぎてから作家になりました。
つまり、芥川の方が10年以上前に作家デビューしているのです。
しかも、芥川は昭和2年に自殺してしまいますが、英治が作家としての人気を確立するのは、ちょうどその頃なのです。

したがって、同い年でありながら、作家としての活動時期がすれ違っているのです。

ですから、国語科の先生の方が、2人が同世代の作家であるとイメージしにくいと思います。

とは言え、教科書には登場しにくい“大衆文学”の作家である吉川英治はともかくとして、教科書の常連である芥川龍之介がいつ頃の人かぐらいは、ピンときて欲しかったのですが。

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2005年5月22日 (日)

kisuge
ニッコウキスゲです。

去年、裏庭を整備して、来館者の方々にも開放するようになりましたが、その際に新しく植えたものです。

ちょっと植え場所としては日当たりが良過ぎるかもしれません。

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2005年5月21日 (土)

困りました。
オダマキ(苧環)が庭内に見当たりません。

もういま時分には咲いているはずなのですが。

今月初めから販売を始めた版画『草思堂の花々』にミヤマオダマキが含まれているというのに、肝心のオダマキが咲いていなければ、お話になりません。

おかしいな。草むしりの時に間違って抜いてしまったのかな?
雑草と間違えるような代物ではないはずなんだけど。

折を見て、植え直さないと。

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2005年5月20日 (金)

sizuka フタリシズカです。

この名は、能『二人静』から付けられたと言います。

この「静」とは義経の恋人「静御前」のこと。
『二人静』は、供養を求めて現世に現れた静御前の霊にとりつかれた娘と静御前の霊が、二人して同じ舞を踊るという場面のある作品だそうです。

この二人で舞う姿と、花穂が多くの場合二本であることを重ね合わせた命名だとか。

写真のものは二人どころか、花穂が六本も出ています。

娘一人と静御前の霊が五人でしょうか。

ちょっと恐ろしいですね。

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2005年5月19日 (木)

ogatama オガタマの花が咲き始めました。

漢字では「小賀玉」あるいは「招霊」と表記するようです。

独特の甘い香りが強く漂います。

「バナナのガムの香り」などと説明しているサイトがありますが、うーん、どうかな。
確かに、人工的に作ったバナナの香りに似ていないことはないですが、ちょっとしっくりきませんね。

皆さんは、この香りをどう感じますか?

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2005年5月18日 (水)

15日の日曜日、落雷騒ぎがありました。

この日は不順な天候で、午後2時過ぎには一時的に激しい雷雨になりました。
その直後、当館の裏手に、サイレンを鳴らした消防車が数台集まってきました。
聞けば、当館の周辺に落雷があったという通報を受けたとのこと。
結局は誤報でしたが、一時は近所も騒然となりました。

ところで、この雷を非常に恐れたのが、杉本健吉さん。

もちろん、へそを取られるのを恐れたわけではなく、雷によって文化財が焼失することを心配していたのだそうです。
特に、深く愛した奈良の寺社が、避雷針の設置に消極的なことに心を痛めていたそうです。

杉本さんのそんな様子を、吉川英治は随筆「奈良のかみなり」の中に書いています。

当館には、もちろん避雷針が備えられています。

実はこれ、杉本さんの強い勧めによるものなんだとか。

今回、雷が落ちなかったのも、杉本さんのおかげかな?

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2005年5月17日 (火)

入館料と言えば。

他の博物館や展覧会の主催者からチラシやポスターが送られて来ることがあります。

送られてきたチラシは全て、来館者の方が自由にお持ちになれるように並べて置いています。

時に、チラシと共に割引優待券や無料招待券が同封されてくる場合があります。

当館では、割引優待券はもちろん、無料招待券も並べています。

当館にご来館の際には、そういう所にも目を配っていただくと、ちょっとお得ですよ。

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2005年5月16日 (月)

日本博物館協会から平成17・18年度の会員証が送られてきました。

当館は規模は小さいですが、日本博物館協会の正会員なのです。

さて、この会員証を提示すると、所持者及び同伴者1名が、日本博物館協会の会員館を無料で見学することができます。

もっとも、私の記憶にある限り、当館にこれを提示して入館なさった方はいらっしゃいませんし、私も使用したことはありません。

だって、当館も含めて博物館施設は大半が月曜休館ですから。

定休日以外の日に休みを取らないと、他の博物館を見学することができないのです。
そして、当館は職員数が少ないので、定休日以外に休みを取ることができません。
お恥ずかしいことに、おかげで最近博物館に足を運んでいません。

宝の持ち腐れです。

もっとも、実際に博物館に入館する時は、私は普通に料金を払うようにしています。

映画料金や野球場の入場券などに比べれば博物館の入館料は総じて安いですし、お互い様ですからね。

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2005年5月15日 (日)

現在、草思堂庭園の定期的な手入れのために植木屋が入っています。

当館の場合、植木屋は年に3回、松の木を中心に手入れに入りますが、今の時期は松の芽摘みの作業を行います。

ご来館の方々には、少々お邪魔かもしれませんが、ご容赦下さい。

ところで、現在、この植木屋に依頼して、母屋の裏にある藤棚を整備・拡張し、将来は来館者の方々が藤棚の中を通れるようにしようとしているところです。

しかし、藤棚に手を入れた結果、花の咲き具合がどのようになるかは、年に一度の花が咲く時期になってみないとわかりません。
今ちょうど藤の花が咲いているので、それによって去年手入れした結果がわかります。
それを見て、次にどのように手を入れるか考える。

植木を、思うような姿に仕上げていくのは、実に根気の要る作業ですね。

数年後には、来館者の皆様にもお楽しみいただけるような形になると思いますが、気長にお待ちいただきたいと思います。

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2005年5月14日 (土)

「新・平家絵物語」展は、15日が最終日になります。

これでしばらく「新・平家絵物語」は展示をしませんので、ご興味のある方はぜひお運び下さい。

なお、次回の特別展は「映像化された『新・平家物語』」と題して、5月31日より開催いたします。
映画やテレビドラマ、舞台になった「新・平家物語」について、展示を行います。

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2005年5月13日 (金)

今日はお得情報を。

現在、JR東日本では「東京のふるさと 青梅・五日市線の旅」というキャンペーンを展開中です(3月1日~11月30日)。
JRの駅に行くと、それに対応した「青梅・五日市線 ウォーキングマップ」というものが配布されています。
このマップにはクーポン券が6枚ついています。
上記期間中に、当館窓口でこのクーポン券(1人につき1枚)をご提出いただくと、優待料金(通常料金より100円引き)でご入館いただけます。

また、青梅市内を中心とした宿泊施設や飲食施設に、青梅ミュージアム協議会の共通割引券が備えられています。
この券で、玉堂美術館、たましん御岳美術館、澤乃井櫛かんざし美術館、青梅きもの博物館、そして当館の計5館に優待料金でご入館いただけます。
また、この5館の内の3館をまわると、3館目で記念品を受け取ることができます。
当館の場合は、絵ハガキを差し上げています。

青梅にお泊りの時には、その宿にこの共通割引券が備えられているかどうか、お確かめになり、ぜひご利用下さい。

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2005年5月12日 (木)

ebine 数日前からエビネラン(海老根蘭)が咲き始めています。

きれいな花ですが、写真に撮りにくい花ですね。

名前の由来は根茎が海老の尻尾に似ていることからだそうですが、まさか引っこ抜くわけにもいきませんので、確かめてみたことはありません。

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2005年5月11日 (水)

一方の「天兵童子」は『少年倶楽部』の昭和12年9月号~15年4月号に連載されました。
この作品以後、吉川英治は少年少女小説は書いていません。

この作品の挿絵を描いた伊藤彦造さんは、昨年100歳で亡くなられました。
長く近況について聞くことがなかったので、訃報に接した時には、失礼ながら、「えっ、生きてたの!」というのが正直な感想でした。

ところで、「天兵童子」の頃、伊藤さんは彦造ではなく“新樹”という画号を使用していました。
これについて、「「赤い鳥」と「少年倶楽部」の世界」展の図録には、「挿絵を担当した伊藤新樹は、伊藤彦造の別名」としか書かれていません。

実は、この画号は吉川英治の命名によるものです。
それについて伊藤さん自身が、こう書いています。

 また、当時私は重大な任務を背負っていた。吉川先生はそれをうすうす御存知のようであったが、私が絶対に他言ご無用と願ったとき、先生は毅然として「他言はしません。ご安心下さい」と誓って下さり、秘密を守って下さった。そうした“義”の堅い方であったので、私は先生を常に信頼していた。
 そのころであったが、私は「新樹(アラキ)」という画号を使っていた。
 これは吉川先生から頂いたもので先生は新しい大木ということと、私と特別の関係のあった某将軍の名前にも通じるからといって、私に贈って下さったものである。
(「吉川先生と私」より。『吉川英治とわたし』所収)

「某将軍」とはおそらく荒木貞夫陸軍大将のことでしょう。
伊藤さんは、一時期この荒木貞夫の秘書をしていたと言いますから。
すると「重大な任務」とは、この荒木貞夫に関係のあるものなのでしょうか。

非常に興味深いのですが、浅学にしてこれ以上のことは知りません。

いつかちゃんと調べてみたいと思っています。

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2005年5月10日 (火)

昨日取り上げた「神州天馬侠」は、吉川英治の少年少女小説の中でも代表的な作品です。

吉川英治自身、息子の吉川英明(当館館長)に対して、「自分の作品で後世まで残るものがあるとしたら『宮本武蔵』と『神州天馬侠』だろう」と語っていたというくらい、お気に入りの作品だったようです。

でも、実はこの作品、完結していないって、ご存じですか?

作品のクライマックスは武州御岳神社(この記念館からはすぐ近くです)での兵法大講会。

しかし、この大講会では、武田伊那丸たち天馬侠と宿敵徳川勢の争いは完全決着していませんし、何より、徳川勢によって卑怯にもさらわれた天馬侠の一員・咲耶子の行方は知れないままで、作品が終ってしまうのです。

雑誌連載の最終回を見ると「前編完」とあります。
つまり、後編があるはずだったのです。

しかし、吉川英治は、後編に着手しないまま世を去ってしまいました。

誰か、後編を書いて、作品を完結させてみませんか?

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2005年5月 9日 (月)

「赤い鳥」と「少年倶楽部」の世界

現在、山梨県立文学館で上記タイトルの特別展が開催されています。

当館からも「神州天馬侠」の原稿、初版本、「天兵童子」初版本などを出品しています。

そんな出品資料の一つが「親愛なる読者へ」の原稿です。
私たちは、これを「神州天馬侠休載詫び状」と呼んでいます。

「神州天馬侠」は『少年倶楽部』の大正14年5月号~昭和3年12月号に連載されました。
そのうち、昭和3年10月号分の原稿がどうしても書けず、一回休載せざるを得なくなった吉川英治が、作品を心待ちにしてくれている子供たちに申し訳がないという気持ちから書いたのが、この「詫び状」です。

これが作品の代わりに誌面に掲載されたのですが、その長さは実に400字詰め原稿用紙11枚分!
雑誌連載の一回分の原稿量の4分の1ぐらいでしょうか。

いかに吉川英治が読者、特に子供たちを大事に思っていたかがうかがい知れるエピソードですね。

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2005年5月 8日 (日)

hanga 当館ミュージアムショップでは、版画家のはらださちさんによる「草思堂の花々」というシリーズを販売しています。

現在は3ヶ月ごとに3作品を、それぞれ30部製作していただき、販売しています。

もちろん、印刷による複製などではなく、はらださん自身の手刷りによる「版画」です。

5月1日から、写真の3作品を新たに発売しています。

右からミヤマオダマキ(深山苧環)・シラネアオイ(白根葵)・ウラシマソウ(浦島草)です。

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2005年5月 7日 (土)

角間温泉

先日、電話で問い合わせがありました。

「角間温泉は長野県に二ヶ所あるそうですが、吉川英治にゆかりのあるのはどちらですか?」

え、ホント?

これは知りませんでした。
慌てて地図を調べてみると、確かに二ヶ所あります。

下高井郡山ノ内町佐野と小県郡真田町長。

吉川英治にゆかりがあるのは山ノ内町の方です。

吉川英治は大正12年、関東大震災を契機に専業の作家となります。
その作家デビュー前後の時期、ここにある『越後屋』を定宿にして、しばしば執筆を行っていたのです。
当時の様子を伝える『角間温泉滞在日誌』という資料が残されています。

この越後屋は現存していて、その庭には吉川英治の文学碑もあるそうですが、実は私はまだ訪ねたことがありません。

一度行ってみなくては。

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2005年5月 6日 (金)

atago当館のすぐ裏にある愛宕神社ではいま境内のつつじが見頃です。

青梅では塩船観音のつつじが有名ですが、この愛宕神社のつつじは知っている人が少ないので、穴場です。

ご来館のついでにぜひ足を運んでみて下さい。

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2005年5月 5日 (木)

風薫る子らが五月ぞ大人ども

これは吉川英治の句です。

今日は「こどもの日」ですが、ちょうどそれにふさわしい句なので、この句を書いた色紙を現在常設展示の中に展示中です。

しかし、少子化ということもあって、俗に「六つの財布」とも言われるような状況の中では、五月でなくても、一年中、子らの季節かもしれませんね。

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2005年5月 4日 (水)

kumagai いま、クマガイソウ(熊谷草)が咲いています。

熊谷直実にちなむ名前ですから、ちょうど特別展の内容にピッタリですね。

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2005年5月 3日 (火)

「新・平家絵物語」展

4月5日から開催中の特別展=「新・平家絵物語」展は、杉本健吉さんの同名作品全98点を、2週間ずつ3期に分けて展示しています。

今日から、その最後となる後期(~5月15日)の展示となります。

木曽義仲追討から平家の滅亡、義経の逃避行、そして物語の最後までの部分になります。

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2005年5月 2日 (月)

本日は月曜日で定休日です。

ゴールデンウィーク中ですが、通常通り休館になります。

ご了承下さい。

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2005年5月 1日 (日)

はじめまして。

本日より吉川英治記念館学芸員ブログを始めます。

といっても、学芸員は私だけですが。

吉川英治記念館についてのより細やかな情報発信に努めたいと思います。

よろしくお願いいたします。

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