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2005年5月11日 (水)

一方の「天兵童子」は『少年倶楽部』の昭和12年9月号~15年4月号に連載されました。
この作品以後、吉川英治は少年少女小説は書いていません。

この作品の挿絵を描いた伊藤彦造さんは、昨年100歳で亡くなられました。
長く近況について聞くことがなかったので、訃報に接した時には、失礼ながら、「えっ、生きてたの!」というのが正直な感想でした。

ところで、「天兵童子」の頃、伊藤さんは彦造ではなく“新樹”という画号を使用していました。
これについて、「「赤い鳥」と「少年倶楽部」の世界」展の図録には、「挿絵を担当した伊藤新樹は、伊藤彦造の別名」としか書かれていません。

実は、この画号は吉川英治の命名によるものです。
それについて伊藤さん自身が、こう書いています。

 また、当時私は重大な任務を背負っていた。吉川先生はそれをうすうす御存知のようであったが、私が絶対に他言ご無用と願ったとき、先生は毅然として「他言はしません。ご安心下さい」と誓って下さり、秘密を守って下さった。そうした“義”の堅い方であったので、私は先生を常に信頼していた。
 そのころであったが、私は「新樹(アラキ)」という画号を使っていた。
 これは吉川先生から頂いたもので先生は新しい大木ということと、私と特別の関係のあった某将軍の名前にも通じるからといって、私に贈って下さったものである。
(「吉川先生と私」より。『吉川英治とわたし』所収)

「某将軍」とはおそらく荒木貞夫陸軍大将のことでしょう。
伊藤さんは、一時期この荒木貞夫の秘書をしていたと言いますから。
すると「重大な任務」とは、この荒木貞夫に関係のあるものなのでしょうか。

非常に興味深いのですが、浅学にしてこれ以上のことは知りません。

いつかちゃんと調べてみたいと思っています。

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