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2005年5月28日 (土)

庭石と言えば、いま入っている植木屋から、この庭には石が少ない、と言われたことがあります。
一般的な作庭法から見て、庭石の数が少ないし、あまり目立たないようにしてあるように感じる、と言うのです。

プロの目というものは大したものだと驚きました。

吉川英治は『奥多摩閑話』という随筆にこう書いています。

 もと自分の家の庭には、たくさんな石がるいるいとあった。それを終戦後、私はみな土中に埋けて平庭にしてしまった。知る人がみなもったいないことをしたという。だが何分にも、この地方は“石どころ”で、東京への庭石は、むかしから殆どこの附近より送り出していたほどである。村の道、畑、山ぞい、どこを歩いても名石だらけだ。名石も過ぎては名石ではないことになる。せめて庭のうちだけでも余り石を見ないように私はみんな元の土のうちへ返したのである。

つまり、吉川英治は意図的に石を隠したわけですが、植木屋はそれに気づいたわけです。

昨日書いた石も、単に池とともに埋められたというだけでなく、そういう意図もあったのでしょう。
となると、これを再利用するのは、吉川英治の意図に反することなのかもしれません。

しかし、いまや村の道は拡張、舗装されて激しく自動車が行き交い、畑も山ぞいも次々と宅地に姿を変えています。
当たり前のように転がっていた“名石”たちも、もう探さなければ気が付かないような状況になっています。

つまり、いつのまにか庭と周辺の石をめぐる立場は逆転してしまっているのです。

ならば、吉川英治の愛した庭の雰囲気を残しつつ、少しだけ石を目立たせてやっても、お叱りは受けなんじゃないかな、と考えているところです。

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