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2005年6月21日 (火)

安徳天皇生存説

『安徳じゃが浮かびたい』(細川幹夫 麗澤大学出版会 平成16年)という本をご寄贈いただきました。

実は先日、著者の細川氏がご来館になり、ご質問をいただきました。

吉川英治は『新・平家物語』で、安徳天皇の山ノ御所について書いているが、それはどのような資料によったものか、というご質問です。

源平の争いの中で、平家一門が安徳天皇を伴って都落ちします。
その後、一の谷で敗れた平家は四国の屋島に逃れます。
『新・平家物語』では、この際、船酔いした安徳天皇は屋島に行かず、≪山ノ御所≫で静養していたとしています。
そして、健康を取り戻した安徳天皇が、屋島にいる母の建礼門院を訪ねたその時、ひそかに四国に上陸した義経の軍勢が屋島を襲うという風に描いています。

この古典平家には登場しない山ノ御所の存在が、細川氏が研究なさっている≪安徳天皇の四国潜幸≫ということについて重要な意味を持つということなのです。

≪安徳天皇の四国潜幸≫とは、安徳天皇は壇ノ浦では死んでおらず、壇ノ浦以後も四国で密かに生きていたという伝承です。

ご質問をいただいて、少し調べてみましたが、これと明確に言える資料は発見できませんでした。

吉川英治は『随筆 新平家』の「新平家落穂集」の中に

読者からの手紙の中では、近頃とみに、安徳天皇に関する事蹟についてのお知らせが多くなっている。

と書いていますから、その中に≪山ノ御所≫の伝承を伝えるものもあったのかもしれません。
しかし、残念ながら、そうした資料は現存する読者からの手紙の中には含まれていません。

吉川英治は「新平家落穂集」の別の場所で、日本各地に残る安徳天皇伝承について、実際には古典平家成立以後に生まれた伝説なのだろうとして、懐疑的な目を向けていますが、≪山ノ御所≫は採用しています。

そこにはどんな意図があったのでしょうか。

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