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2005年7月24日 (日)

仏壇はあとのまつりをする所

母親を亡くした吉川英治が、そのすぐ後に発行された雑誌『大正川柳』109号に「母の死」と題して発表したのが、表題の句です。
川柳家・吉川雉子郎の代表作と言える句の一つです。

これを、当時の大阪の川柳界の中心人物であった岸本水府が≪狂句≫だとして批判しました。
つまり、「あとのまつり」という言葉は、「死後の祭祀」という意味と、「手遅れ」という意味とをかけた語呂合せだ、と批判したわけです。

これに対して、吉川英治は『大正川柳』113号に「その句の父から」という文章を書き、猛烈に反論します。
これは母を亡くした自分の真摯な気持ちを表現したもので、それが伝わらなかったのは作句の下手さを恥じるしかないが、しかし、句意を論じずに、単に「あとのまつり」が二通りに受け取れるからといって「狂句」呼ばわりは批評として乱暴ではないか。
そういう意味のことを書いています。

吉川英治は、後年の随筆でも「一番の恋人は死んだおっかさん」と書くほど、母親への思いの強い人でしたから、句に対する批判を、そのまま母親への冒涜のように感じたのかもしれません。

吉川英治は、自らの母への思いに忠実であろうとしました。
それに対し岸本水府は、決して吉川英治の心情を理解しなかったのではなく、川柳をただの言葉遊びではなくひとつの文芸として高めるには厳格さが必要だと考えたのでしょう。

どちらかが正しくて、どちらかが間違っているというものではないのだと思います。

ただ、この2年後、吉川英治は川柳から離れて、作家に転身することになります。
そして、岸本水府は川柳の道を極めるべく精進し、日本を代表する川柳家となります。

それが全てではないのでしょうが、この論争がひとつの分岐点だったのかもしれません。

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コメント

御無沙汰をしております。
昨日、西多摩新聞社の創刊2000号を記念した記者と読者の会に、お邪魔をさせていただきました。その折に、図々しくも300万人の座を狙ったことなども話したりして、姑息にも読者の方のウケを取ったりしました。
長屋門が綺麗になられた由、またお邪魔させて頂きます。
失礼しました。

投稿: 夢酔藤山 | 2005年7月24日 (日) 21時27分

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