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2005年8月25日 (木)

寺を出て寺までかへる盆の月

私が把握している限りで、一番新しい吉川英治の文学碑は、平成10年に岩手県宮古市愛宕の愛宕小学校に設置されたものです。

昭和10年8月、吉川英治は、自ら設立した日本青年文化協会という団体の講演会のため、倉田百三や白鳥省吾らと東北各県をまわりました。
その際、宮古市愛宕の本照寺に滞在しました。
というのも、本照寺住職の弟と吉川英治の妹が結婚しているという関係にあったからです。

滞在中のある晩、地元の方々による歓迎の宴席が設けられましたが、吉川英治は原稿執筆のため欠席し、倉田百三、白鳥省吾たちだけが出席しました。
その時に、二人に対して詠んだ句が、

寺を出て寺までかへる盆の月

愛宕小学校の文学碑には、この句が刻まれています。

なお、この時に執筆していたのは『宮本武蔵』。
しかも、連載の開始がこの旅(8月11日~17日)の直後の8月23日であることから考えて、作品の冒頭の部分を書いていたものと思われます。
もしかすると、あの有名な「――どうなるものか、この天地の大きな動きが。もう人間の個々の振舞いなどは、秋かぜの中の一片の木の葉でしかない。」という巻頭の一文は、この旅の中で書かれたのかもしれません。

ただ、この文学碑、残念なことに、刻まれている碑文が吉川英治の筆跡ではないのです。
まさに点睛を欠いています。
惜しいですね。

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