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2005年8月14日 (日)

ペンネーム3

昭和に入ってからは≪吉川英治≫に一本化されたペンネームですが、実は、昭和8~9年に、もう一つ別のペンネームを使用したことがあります。

これには事情があります。

デビュー当時世話になった編集者が、講談社から新潮社に転職し、『日の出』という雑誌を創刊します。
吉川英治はそこに昭和7年8月創刊号から8年12月号まで「燃える富士」を、引続き9年1月号から12月号まで「修羅時鳥」を連載します。

当時、吉川英治は既に不動の人気作家であり、その作品を確保するのはなかなか難しい状況でした。
昭和8年1月の様子を見てみると、新聞連載が2本、月刊誌連載が2本、単発の短編小説が2本の計6作品が発表されています。

そんな中、創刊されたばかりの雑誌に連続して約2年半連載を続けたというのは、編集者の恩義に応えようとしたからでしょう。
しかし、編集者の方は、それでも足りないと思ったのか、同じ『日の出』にもう1編、小説を連載するように依頼します。
吉川英治は、この依頼を引き受けます。
しかし、同じ雑誌に吉川英治の名が2つ並ぶのはどうもよろしくない、ということになり、こちらの小説には、別のペンネーム≪浜帆一≫を使用することになったのです。
書いたのは、「あるぷす大将」というユーモア現代小説(昭和8年8月号~9年6月号)。
吉川英治には珍しいジャンルの作品だったこともあり、裏事情を知らない人たちは、これが吉川英治の別名とは気付かず、「有望新人登場!」と色めき立ったそうです。

ちなみに、この結果、昭和9年1月には、新聞連載2本、月刊誌連載5本(!)、単発の短編小説3本の計10本が発表されています。
ちょっと常人には考え難いことです。

実は、吉川英治に21番目のペンネーム使用を強いた編集者とは、かつて匿名はやめて本名で勝負せよと迫ったのと、同じ編集者なのです。
言行不一致な感じがしてしまいますね。

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