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2005年9月 4日 (日)

木曽から北陸

取材旅行(3)木曽から北陸の旅行は、吉川英治による取材旅行の紀行文「新・平家今昔紀行」には、なぜか含まれていません。
現在「新平家落穂集」としてまとめられている文章の中に、わずかに言及があるだけです。

これも、同行の編集者の作成した資料によって、どうにかその旅の様子を確認できます。
天竜峡から山を越えて木曽谷へ、松本を経由し、また山を越えて高山へ、そこから白川郷へ行き、山を越えて金沢方面に出る、という旅だったようです。

四日目に山国出でて赤とんぼ

吉川英治がこの旅で詠んだ句です。

「新平家落穂集」の中で、この旅に触れた部分に、≪ダムと平家村≫というフレーズが出てきます。
取材旅行で見聞した平家村と言われる所が、「どこも電源開発の大工事」によって揺れている、そう書いています。

源氏に追われて山深くに逃れた平家が、今度はダム建設によって山から追い出される。

その悲哀に吉川英治がどんな感慨を持ったのか。
「新平家落穂集」には、

祇園精舎の鐘の声は、次々と完成してゆく電源地から新しい光波となって、また都会栄花のステージへ降りそそいで来よう。無常の作用はまた無死の作用といえる。

と書かれていますが、この一言だけでは、つかみきれません。

まとまった紀行文を残して欲しかったと、つくづく残念に思います。

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