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2005年9月17日 (土)

松本清張

旅先ではいろんな出会いがあるものです。

昭和25年12月の「新・平家物語」取材旅行(1)でも、いろいろな出会いがあるのですが、私が、へぇと思ったのが、松本清張との出会いです。

旅の12日目である12月20日。
小倉を訪ねた吉川英治は、壇ノ浦を眺めた後、朝日新聞の西部本社に立寄った際、松本清張を紹介されます。

西部本社へ立寄る。局次長のY氏、論説副主幹のS氏などと話しこむ。そこへ今年の別冊週刊で当選作となった「西郷札」の筆者松本清張氏が見えて、紹介をうける。西郷札は素材の要意も克明な手がたい作品であったと記憶する。実直で作風どおりな人であると話しながら思う。ずいぶん忙しい中で書いたらしい。羨むべき境遇と健康と年歯である。(「新・平家今昔紀行」『門司・小倉あるきの巻』)

背景を説明しますと、この時、松本清張は朝日新聞西部本社の広告部に勤務していました。つまり、松本清張の勤務先に吉川英治がやって来たわけです。
そして、「西郷札」は、『週刊朝日』が懸賞募集した≪百万人の小説≫に入選した、松本清張の処女作です。
吉川英治はその『週刊朝日』に「新・平家物語」を連載しているわけですから、必然的な出会いと言えるかもしれません。

ところで、『週刊朝日』の≪百万人の小説≫は、昭和25年6月11日号に募集告知されたもので、同年12月10日号に予選合格の30編が発表され、12月24日号で最終結果が発表されました。
週刊誌の発売日は号の日付の1週間前ですから、結果が公になったのは12月17日。その直後に吉川英治と松本清張は顔を合わせたことになります。

となると、一つ疑問なのは、吉川英治はこの時点で「西郷札」を読んでいたのかどうか、ということです。
吉川英治の文章だけをみると、読んだ後に出会ったかのように読めます。
しかし、吉川英治は、この懸賞の審査員ではありませんから、発表前に作品を読んだと思えないのです。

調べてみると、「西郷札」は昭和26年3月に発行された『週刊朝日別冊 春季増刊号』に掲載されています。
一方、吉川英治の紀行文の方は、『週刊朝日』昭和26年7月22日号に掲載されています。

つまり、実際に旅したのと、紀行文を書いたのでは約半年のズレがあり、その間に「西郷札」が活字になって、それを読んだ、というのが真相なのではないでしょうか。
それならば、「別冊週刊で当選作となった」という記述(実際には本誌で募集・発表されている)も、納得できます。

こういうことがあるので、作家の文章は鵜呑みに出来ません。

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