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2005年9月12日 (月)

何尺の地を這ひ得るや五十年

表題の川柳について、どういう意味なのか教えて欲しいという電話がありました。

こう言ってはなんですが、電話での問い合わせというのは、聞く側は気軽ですが、答える側としては急なものなので、十分に意を尽してお答えすることができないこともあります。
今回も上手く説明できなかったような気がするので、改めてここに書いてみます。

これは、明治45年7月に、東京・芝の金地院で開かれた物故川柳家追善のための新川柳十年記念川柳法要という会で吉川英治(当時は雉子郎)が詠んだもの。
会場の金地院にちなむ宿題の「金」「地」「院」のうち、「地」を詠み込んだものです。

意味は深く考えずとも、伝わるでしょう。
「五十年」とは、「人間五十年」を念頭に置いて、「人の一生」を指すものでしょうから、「一生地面を這い続けたら、何尺進むことが出来るだろうか」と言っていることになります。

ただ、解釈は難しい。
「一生かかっても何尺も這うことは出来ない、人間なんてちっぽけなものだ」という人間への諦観とも取れますし、「これからの人生、自分にどれだけのことが成し得るだろうか」という人生への不安と希望とも取れます。

「人間五十年」という言葉が、元来は「人間五十年、下天一昼夜」という仏教の時間概念に基づき、「人間にとっては長い50年も、神仏の目から見れば一瞬に過ぎない」という意味であることを踏まえれば、前者の解釈が正しいようにも思います。

一方、明治45年7月ならば、明治25年8月生まれの吉川英治は、まだ満年齢で20歳にもなっていません。
そこを重視すれば、後者の解釈のようにも思えます。

後年の吉川英治の小説が、≪希望の文学≫とも呼ばれることを思えば、私としては後者を取りたい気がします。

しかし、20歳目前の少年が、これを詠んだということには、驚嘆する他ありませんね。

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