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2005年9月 1日 (木)

稗搗節

取材旅行(1)に関して展示している軸の1つには、こんなことが書かれています。

庭の山椒の木
鳴る鈴かけて
鈴の鳴るときゃ
出ておじゃれ

妙なフレーズだと思われるでしょうが、これは、宮崎県の椎葉村に伝わる稗搗節の冒頭の一節です。

壇ノ浦で敗れた平家の一部は九州の山奥に逃げ込みました。
源氏はそこへ追討軍を送りこみます。
「扇の的」で有名な那須与一の一族である那須の大八は、その追討軍の一隊の大将として参加するが、椎葉村まで来たところで、そこに隠れ住む平家の姫と恋に落ちてしまう。

その悲恋の物語を歌ったものが稗搗節です。

この昭和25年12月の取材旅行の際、別府の宿での宴席で吉川英治は初めて稗搗節を耳にします。
そして、その謂れを知ることになりました。

それから6年余り後、吉川英治は、この那須の大八の悲恋物語を、終幕直前の「新・平家物語」に登場させます。
それは物語の最後の重要なエピソードとなっています。

宴席で芸妓が唄った民謡が、平和への祈りを込めた小説の一挿話へと姿を変えたのです。

ちなみに、この取材旅行では、由布院までしか行っておらず、椎葉村には足を運んでいません。
その後、吉川英治は、椎葉村訪問を切望し、何度か計画にも上りながら、ついに行くことが出来ませんでした。

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