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2005年10月16日 (日)

攻玉社

吉川英治の場合、両親ともに武士の家系ではあるのですが、母方の方が家格がずっと上で、そのせいか、母方の親戚には、昨日の堀柳女を含め社会的に認められた人物が散見されます。

例えば、近藤真琴。
東京にある学校法人・攻玉社学園の創立者です。
近藤真琴は鳥羽藩出身(と言っても生まれは江戸藩邸)で、数学・土木・海事などの教育に大きな功績を残した人物です。
面白い業績としては、日本で最初のSF小説(ジオス・コリデス著「新未来記」)の翻訳を手がけています。
その近藤の二度目の妻・真樹子が、吉川英治の曾祖母の姉にあたるのです。

その縁から、吉川英治の母・いくは、結婚前、近藤家に行儀見習いに入り、攻玉社の手伝いなどをしていたのだそうです。

また、近藤真琴の門弟で、英学者として学習院の教授にもなった斎藤恒太郎の元にはいくの姉・豊子が嫁いでいます。
斎藤は宮家の教育係りもしていたとかで、「忘れ残りの記」の中に、母親とともに、当時北白川宮邸内に住んでいた斎藤の元を訪ね、北白川宮邸を見学したというエピソードが登場します。

吉川英治は皇室への尊崇浅からぬものがありますが、こうした縁もあったのですね。

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