« 朝の来ない夜はない | トップページ | 博物館調査 »

2005年10月 5日 (水)

夜の来ない朝はない

杉本苑子さんは、本格的な作家デビュー前に、吉川英治に師事し、指導を受けていたことはよく知られています。
その杉本さんが、こんなことを書いています。

「朝の来ない夜はないと先生はおっしゃってますけど、夜の来ない朝もないですよ。私はどうしても、そのほうを考えてしまいます」
「しかしまた、夜はあけて朝になるよ」
ニコニコ否定されるが、しぶとい私は肚の中で、
(その朝は、でも、やっぱり夜になる)
と、つぶやいている。はてしがない。つまりは性格の相違であろう。
(『吉川英治全集月報』所載「夜と朝、朝と夜」より)

「朝の来ない夜はない」と言うのも、「夜の来ない朝はない」と考えるのも、どちらかが正しく、どちらかが間違っているというようなものではないでしょう。
大きな時の流れの中では、それはいずれにせよ、一局面に過ぎず、明けたままの朝もなければ、暮れたままの夜もないはずです。

吉川英治には、こんな言葉もあります。

たのしみあるところにたのしみ、たのしみなきところにもたのしむ

実際に、その人生の中で暗い夜を経験してきた吉川英治には、その暗さすらたのしむ折れない心がありました。
それが作品に投影されて、読者を勇気づけ、それゆえに長く支持されてきたのでしょう。

「朝の来ない夜はない」という言葉は、吉川英治自身の人生観であるとともに、読者に生きる希望を与えることこそが文学の使命であるとする文学観も象徴する言葉なのだろうと思います。

|

« 朝の来ない夜はない | トップページ | 博物館調査 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 朝の来ない夜はない | トップページ | 博物館調査 »