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2005年10月17日 (月)

明治の三斎藤

これは、何かご存知の方がいらっしゃったら、お教えを乞いたいと思い書くのですが、吉川英治は、斎藤恒太郎について、こう書いています。

母の義兄の斎藤恒太郎は、語学者としては、明治の三斎藤といわれた一人だそうで、学習院教授をしていた傍ら、宮家の教育掛りも勤めていた関係上、北白川宮の邸内に居住していた。
(「忘れ残りの記」『春の豆汽車』)

この記述について、以前こんなご質問をいただいたことがあります。

≪明治の三斎藤≫とは誰のことですか?

もちろん、その一人だというのですから、斎藤恒太郎がそこに含まれることは間違いないでしょうが、あとの二人は誰なのか、というわけです。

明治時代の語学者で、斎藤姓と言えば、正則学園の創立者である斎藤秀三郎という人物がいます。
この人物については、あるところに「明治英学の三巨人」として井上十吉、神田乃武と共にその名が挙げられているくらいですから、間違いなく≪三斎藤≫の一人でしょう。

また、明治18年に「袖珍英和辞書」を刊行した斎藤重治という人もいるようです。

これで≪三斎藤≫でしょうか?

ただ、吉川英治は、「英学者」とは書かず、「語学者」と書いています。
ドイツ語や、フランス語の可能性だってあります。

いずれにせよ、≪明治の三斎藤≫という言い方は、吉川英治の書いたもの以外には、確認できないようなのです。

吉川英治の身内びいきによる勘違いなのか、それとも当時本当にそう言われていたのか。

どなたかご教示いただけないでしょうか?

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