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2005年10月12日 (水)

新嘉坡日報・続報

国会図書館で『新嘉坡日報』について調べてきました。
色々あたった結果、かろうじて以下のことがわかりました。

『新嘉坡日報』は、昭和4年、当時シンガポール唯一の邦字紙であった『南洋日日新聞』の社員だった長尾正平によって創刊されたが、昭和16年の日本による対米英開戦によって廃刊に追い込まれ、また在留日本人は強制退去させられた。その後、昭和17年のシンガポール陥落後、新嘉坡日報社の建物には日本軍の宣伝班が入り、軍向けの新聞『建設戦』を発行することになる。
詩人・金子光晴は、妻の森三千代と昭和4年から7年にかけてアジア・ヨーロッパを旅行し、その際、シンガポールに長期滞在しているが、その間金子夫妻の面倒を見たのが、長尾正平夫妻であった。

これらは実を言うと、ネットで検索して事前におよそわかっていたことの細部がわかっただけで、新しいこと、とりわけ吉川英治との接点などは、判明しませんでした。
なぜ「菊一文字」が掲載されたのか、経緯を知る糸口は見つからないままです。

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