« 母の文 | トップページ | 女房またはらみ »

2005年12月13日 (火)

胡堂と寛の勘違い

野村胡堂の書いた「時事川柳(一)」という随筆を読みました。

野村胡堂は作家デビュー以前(正確には作家となってからもですが)に、長らく報知新聞の記者をしていました。
この随筆は、同紙に「時事川柳」という欄を始めたのは自分だ、ということを書いたものです。

そこに、投稿された中で印象に残った川柳として、「するが町たたみの上の人通り」という句を挙げています。

しかし、この句は、実は古川柳として知られるものです。
ですから、これが投稿されてきたとしたら、それは≪盗作≫ということになります。

おそらく、胡堂が記憶違いをしているのでしょう。

この同じ句で、とんでもない勘違いをした人がいます。

菊池寛です。

菊池寛の『半自叙伝』に以下の記述があります。

(前略)ちょうどそのとき「三越」が、「文芸の三越」という宣伝文芸の募集をした。喜劇、論文、童話劇、歌、狂句、川柳その他である。そのとき僕は「流行の将来」という課題に応募し、三等に当選して五十円を貰った。(中略)川柳は「駿河町畳の上の人通り」というのが一等だった。名作だと思って、自分は感心していた。ところが、一昨年であったか、誰かの「川柳評釈」という本を見ていると、この句を徳川時代のものとして得々として、評釈しているのだ。自分は嘲笑したい気持だった。なんという馬鹿な奴だろうと思った。自分は、何かに書いて嘲ってやりたいと思いながら、そのままになっていたのである。ところが去年「川柳やなぎだる」を見ていると、あにはからんや、この「駿河町畳の上の人通り」の句が、歴然として載っているのである。この句は、まさしく江戸時代の三井呉服店のスケッチなのだ。「文芸の三越」の一等当選はまさしく泥棒なのである。それとは知らず、「川柳評釈」の著者をやっつけようものなら、とんだ恥をかくのであった。「やなぎだる」にある相当の名句を当選させた選者の失態はもちろんだが、その当時誰にも気づかれずまんまと賞金をせしめたにしろ、十幾年かの後に僕にその悪業を見つけられるところを見ると、天網かいかい疎にして洩さずである。しかし、この誰だかわからない不徳漢のために、自分は危く恥をかくところだった。

実は、この菊池寛の言う≪不徳漢≫とは、誰あろう吉川英治なのです。

ただし、これは菊池寛の誤解であって、吉川英治が≪独活居≫という号で投稿し、一等となった句は

駿河町地を掘り空へ伸してゆき

というもので、日本橋三越が近代的ビルに変貌した姿を詠んだものです。
もちろん盗作などではありません。
菊池寛の完全な勘違いなのです。

ちなみに、この『文芸の三越』の件は大正3年のこと。
吉川英治と菊池寛は親しい交友がありましたが、大正3年当時はまだ付き合いがなく、菊池寛も川柳の投稿者が後年の吉川英治とは気づかなかったようです。

吉川英治と交流のあった二人の人物が、そろいもそろって同じ句で間違いをおかすというところが、なんだかおかしいですね。

|

« 母の文 | トップページ | 女房またはらみ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 母の文 | トップページ | 女房またはらみ »