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2005年12月17日 (土)

黒岩涙香

「淡路呼潮について」の筆者の伊藤秀雄氏は、黒岩涙香研究の第一人者ですが、その著書「大正の探偵小説」(1991年 三一書房)で、『吉川英治の場合』という一項を設けて、吉川英治が黒岩涙香から受けた影響について、紹介なさっています。

≪影響≫といえば聞こえは良いですが、要は個別の作品名を挙げて、これは黒岩涙香のこの作品の真似、あれは黒岩涙香のあの作品のこういう要素と同じ、ということを書いておられるわけです。

その中で、吉川英治の「牢獄の花嫁」は、黒岩涙香の「死美人」の翻案であると指摘されています。

これについて、吉川英治自身はこう書き残しています。

(略)自分は、種本に拠って、ものを書かない方針である。ボアゴベの死美人を、「牢獄の花嫁」に書いても、ほとんど解体して、また、新しく独創の人間をも、加えている。
(「草思堂随筆」所収『材料雑話』より)

これはちょっと苦しい言い訳ですね。

ちなみに「ボアゴベの死美人」と書いているのは、「死美人」という作品はボアゴベの原作を黒岩涙香が≪翻訳≫と称して翻案したものだからです。

さて、吉川英治自身が黒岩涙香からの翻案を認めてはいるわけですが、しかし、伊藤氏の、例えば「鳴門秘帖」について、山牢にとらわれている甲賀世阿弥を救うために法月弦之丞らが奔走するのは「鉄仮面」と同工異曲だ、というような指摘は少々涙香びいきが過ぎるような気はします。
「鉄仮面」自体、デュマの作品を涙香が≪翻訳≫したものなわけですし、「囚われている者を救うために奔走する」という物語パターンもデュマが生み出したわけではなく、その祖型は探せば近代以前に遡れるものでしょうから。

ただ、黒岩涙香が、吉川英治にとって大きな存在であったことは間違いありません。

先の文章に続いて、吉川英治はこう書いています。

その折、涙香の訳本を、分解的に、検討してみて、あのすぐれた探偵物作家には、内容の探偵味以外に、あの文章に、おそろしい魔術のあることを知った。それは、驚くべき、テーマの無理、不自然を、無数に、独特のテンポ、高い興味のもとに、押しかくして、それを、読者にちっとも、不合理と感じさせない手際である。

吉川英治が黒岩涙香を研究し、その≪魔術≫を学び取ろうとしたことは明らかです。

学歴がなく、川柳はともかくとして小説という面では、文壇において師を持たなかった吉川英治にとって、黒岩涙香こそが師匠と呼べる存在だったに違いない、と思うのです。

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