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2005年12月15日 (木)

呼潮へんろ塚

『日本古書通信』の最新号に伊藤秀雄氏による「淡路呼潮について」という文章が掲載されています。

その文章にも書かれていますが、吉川英治は、この淡路呼潮を偲んで彼にゆかりのある東京都新宿区・観音寺に建てられた「呼潮へんろ塚」の碑銘を揮毫しています。

そのことは知っていたので、以前から淡路呼潮とはどういう人物なのか、気になっていたのですが、文学辞典類でもほとんどその名を見ない人物なので、まったくわかりませんでした。
「呼潮へんろ塚」そのものを見てみれば何かわかるかもしれないとは思っていたのですが、都内ならいつでも行けると思って、つい放りっぱなしにしていました。

しかし、今回の伊藤氏の文章によって、淡路呼潮の人生の概略がわかり、大変助かりました。

せっかくなので、伊藤氏の文章には無い話を少し。

吉川英治が「呼潮へんろ塚」の碑銘を揮毫したのは、添田知道の依頼によるものです。

この時、吉川英治が添田知道に対して送った揮毫を承諾する書簡が残っていますので、それは間違いありません。
また、吉川英治の自筆年譜によると、昭和36年9月27日に、この揮毫を行ったことがわかります。
ところが、添田知道からの揮毫依頼の書簡の方がなぜか残っていないので、どういう形で依頼されたものか、事情がいまひとつはっきりしません。

添田知道は、演歌師(代表作は『東京節』)としてスタートし、小説家としても活動する一方、俳句にも取り組みました。
淡路呼潮は初期には小説も多く執筆したらしいのですが、基本的に俳人のようです。
おそらく俳句を通しての交流があったのでしょう。

一方、吉川英治と添田知道の間に付き合いがあったことは確かです。

しかし、吉川英治と淡路呼潮に交流があったのかどうか。
吉川英治が添田知道に宛てた書簡を見ると、あまりそのような感じは受けませんし、伊藤氏の文章からも接点は見えませんが、いずれにせよ、どうにもはっきりしないのです。

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