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2005年12月16日 (金)

業と情

吉川英治が「呼潮へんろ塚」の碑銘を揮毫したのは昭和36年9月27日だ、と昨日書きました。

実はこの日は、昭和33年1月から「毎日新聞」に連載を続けてきた『私本太平記』の最終回の原稿を毎日新聞の学芸部長に手渡した、とても重要な日なのです。
何といっても、『私本太平記』は、吉川英治にとって最後の完結作品だからです(注:並行して執筆していた『新・水滸伝』は、このあとも少し執筆するが、結局中絶している)。

さて、吉川英治が添田知道に宛てて書いた書簡の消印は9月23日。
一方、「呼潮へんろ塚」は、淡路呼潮の一周忌である10月11日の建立予定だったようです。
所在不明の添田知道からの書簡は、日数が無いので早くして欲しいという催促だったと思われます。
しかし、実際に吉川英治が揮毫したのは9月27日でした。

付き合いのあった添田知道からの揮毫依頼を引き受けながら、完結間近な『私本太平記』の執筆に心血を注いでいたためつい忘れてしまい、催促されたものの、あと数日で作品が書きあがるという状況では執筆以外のことに心をやる余裕がなく、とうとう原稿受け渡しの後に揮毫することになった。

そんな姿が想像できます。

そこに、知人からの依頼よりも執筆の方を優先させる作家としての業を感じます。

しかし、それとともに、揮毫を後回しにしたのは、大事なものと思えばこそ、執筆の片手間に書いたりせず、執筆が完了して心のざわつきが無くなるまで待ってから筆をとったのだ、とも思えるのです。

作家としての業とともに、吉川英治の深い情味も感じずにはいられません。

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