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2005年12月 2日 (金)

露八と又八

土肥庄次郎=松廼家露八の流転の人生には、同じように幕末・維新期を流転した新撰組の≪滅びのロマン≫もなければ、維新の志士の≪熱い志≫もありません。
土肥庄次郎は榎本武揚とは幼馴染だといいますが、幕臣として函館戦争まで戦いながら、その才を惜しまれて新政府入りした榎本の人生には、苦悩とともに華もありますが、彰義隊くずれの幇間・露八には笑いにくるんだ苦渋があるだけです。

そんな人物を、吉川英治は小説の主人公に据えました。

作品が『サンデー毎日』連載されたのは昭和9年。

鈍重だが、愚直で憎めぬ男・土肥庄次郎が、酒と女で身を持ち崩し、友人である渋沢栄一や弟の八十三郎の活躍を横目に見ながら、落魄の身を幇間として世を生きていく。
その周りには、やはり時代の激変に翻弄されながら生きていく、≪ロマン≫とも≪志≫とも無縁な普通の人々の姿がある。

それは伝奇ロマンにあふれる作品を書き続けてきた吉川英治にとっての、ひとつの転機となる作品となります。

そして、翌10年、『朝日新聞』に「宮本武蔵」の連載が始まります。

克己と鍛錬によって勝ち続けていく武蔵は、まるで露八とは正反対の人物ですが、小説「宮本武蔵」の中にあって、武蔵が勝ち続けるほどに、人生の坂道を転がっていく人物として又八が登場します。
この又八こそ、露八そのものな人物です。

武蔵と又八の関係は、露八に対して時勢と維新の意義を説き、自身栄達を極めていく渋沢栄一と露八の関係と相似形といえます。

その意味で、「宮本武蔵」と「松のや露八」は対をなす小説であり、もし、「宮本武蔵」は読んだが、「松のや露八」は読んでいないという方がいらしたら、ぜひご一読をお勧めします。

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