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2006年1月 7日 (土)

俳句の恩

年末年始は古書市の多い時期です。
たくさん送られてくる目録の中で、気になったものがあったので、購入してみました。

岩村通世「俳句の基礎知識」(組合書店 昭和25年8月10日)という本で、これに吉川英治の序文が掲載されていました。

そこにこんな一節があります。

私は、俳句にたいし、ひとつの「俳句の恩」ともいふべき感慨をもつてゐる。少年時、私の家は貧しく、私は不良にちかい子であつた。しかし、ある夕、露店の古本屋で買つた五銭の芭蕉句集が、ふと、私の伴侶となり、いつか、うろ覚りに、俳句をとほして、自然を観る眼を教へられ自然をとほして生活のたのしみ方を知り、そして貧しい家の中の母や弟妹のすがたにも、あはれと、慈しみを、抱くやうになつた。また、次第に、文学に眼をひらいてゆく契機にもなつた。拙い著作に、生涯を托し、今日のあることは、いはゞ五銭で買つた芭蕉句集のおかげである。母の愛についで、俳句の恩をいまも思ふのである。

この文章を書いた頃、吉川英治は、いま記念館のある吉野村(現青梅市)に住み、地元の俳句の会=柚木吉野吟社の同人たちと交わりを持ち、その句会に参加したりしていました。
俳句の指導を行い、請われて同人たちに俳号を与えたりしていました。

吉川英治がそうした交流の中に込めていた思いが、この文章から読み取れます。

敗戦直後の苦しい時代の中にあっても、俳句を通して自然に眼を開き、生活の楽しみを知り、そして生きる喜びを心に持って欲しい。

そういうことだったに違いありません。

60年前に比べて、いまは格段に豊かになりましたが、そうなったらそうなったで、苦しみの種は尽きません。
自然に眼を開き、生活の楽しみを知り、生きる喜びを心に持つことは、現在でも必要なことでしょう。

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