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2006年1月28日 (土)

戦争と美

吉川英治が宮島を訪問した際の感慨は、「随筆新平家」の中の『新・平家今昔紀行』のうち『宮島の巻』の部分に書かれています。

そこを読んで、私の印象に残ったのは、こんな一節です。

どうしても、戦争を持たなければならない地球であり人類ならば、世界中の航空基地以上の数の厳島地域が欲しいものだが――などと心で呟いてみる。
が、厳島ほどな“美”をぼくらの世間で創造できるだろうか。それは出来もしない。
美も創れない。戦争の心配も止められない。それをリシエの人間論も、怖いことだと云いぬくのだ。「――理性をもっていて、非理性的であることは、推理の能力を欠くことより、もっと重大である」と。(略)

これは、戦国時代、陶晴賢と毛利元就が厳島の合戦の際、厳島神社とその周辺には、兵を入れず、火を放ったりもしないということを申し合わせてから戦ったという話を聞いての感慨です。

時は昭和25年。
あの悲惨な第二次世界大戦をようやく終結させたというのに、たちまちのうちに朝鮮戦争が勃発するという時代。

権力欲から刹那の闘争を繰り広げる戦国の武人たちにも厳島の美の時代を超えた価値への認識があった。
ひるがえって我々は……、ということなのでしょうか。

ぜひ多くの人に、上に引用した部分だけでなく、全体を読んで、味わっていただきたい文章です。

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