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2006年2月21日 (火)

勝負の世界

今日は、将棋の永世名人・木村義雄の誕生日だそうです(1905年)。

吉川英治と棋士の付き合いでは、升田幸三とのエピソードを何度か書いていますが、木村義雄とも交流をもっていました。
昭和26年(1951)に六興出版から出た木村義雄の著書「勝負の世界」には吉川英治が序文を寄せています。

木村義雄氏にぼくがなお嘱してやまないことは、棋道の名人からさらに人間的名人につきぬけてゆくことである。一道の名人位に坐ったほどな人ならなほそこまで行けないはずはない。そこまで行きぬけたら本当の名人であり、将棋もまた単なる娯楽でなく偉大な人生鞭撻の道といつてよい。

なんだか宮本武蔵っぽい感じですね。

一方、そう書かれた木村義雄は、本文中でこんなことを書いています。

それから神仏だが、私は神仏をたのまない。勝負の世界は、神仏に祈願をこめたから勝てるなどといふ、生やさしいものではないと信じてゐるからだ。(略)
無論私は神仏の前にゆけば頭を下げる。しかし、この勝負に勝たしめ給へとは祈らない。

これはまるっきり、宮本武蔵の「独行道」にある『神仏は貴し、神仏をたのまず』です。

剣も将棋も勝負の世界は相通じるということでしょうか。

いや、この言い方自体、「五輪書」の中で

其道(注・武士の道)にあらざるといふとも道を広く知れば物毎に出あふ事也。いづれも人間におゐてわが道わが道をよくみがく事肝要也。

と言っているのと似てしまいます。

こういう≪勝負≫のような事柄での宮本武蔵は、トランプのジョーカーみたいなものですね。

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