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2006年2月19日 (日)

教科書

以前、吉川英治の文章が、どういう風に教科書に採用されているかを、調べてみたことがあります。

吉川英治記念館には、何らかの形で吉川英治が取り上げられている教科書が13冊所蔵されています。

その内訳が、道徳9冊、国語4冊と、なぜか道徳の方が比重が大きいのです。
しかも、国語の4冊のうち1冊は文学史、1冊は書道なのです。

さらに細かく調べるべく、東京・江東区にある教科書図書館を訪ねました。
1992年のことです。

その時のメモを、転載してみましょう。

中学校では吉川英治本人の文章は小説からは「扇の的」(「新・平家物語」)のみ。書簡から「吉川英明宛」「杉本苑子宛」の2つが採用されている。
高等学校では本人の文章は「門出」(「忘れ残りの記」)、「一門都落」(「新・平家物語」)の2つが採用され、書簡では「吉川英明宛」が採用されている。
このうち「吉川英明宛」書簡は中学校と高等学校で重複する。

戦後の平成3年までの中学・高校の国語教科書を調べた結果です。
それを、以下のように分析しています。

これらの文章の役割はどのようになっているだろうか。
まず、「扇の的」と「一門都落」の2つは古典の部分で取り上げられている。いずれも、古文とセットにされており、古文と現代人である生徒をつなぐ、媒介として扱われている。
「吉川英明宛」「杉本苑子宛」の2つの書簡は当然ながら手紙文の文例である。
ということで、鑑賞するための文章として採用されているのは、「門出」のみということになる。
しかし、これは自叙伝で小説ではない。しかも、この「門出」という文章は、同じものが記念館所蔵の道徳の教科書にも採用されているのである。
こうした事実から、国語教科書における吉川英治は、作家としては、せいぜい古典を現代人の身近なものとした、という程度の評価で、むしろその人間性や人格の方に教育的価値があると見なされている、といえるであろう。

このことが頭にあったので、「中学総合的研究 国語」での大衆文学の評価のされ方が印象深かったのです。

ところで、教科書図書館で興味深かったことが一つ。

国語教科書を調べ終えた私が、道徳の教科書も調べようと職員に声をかけてみると、所蔵されていない、というのです。
道徳という教科には、≪教科書≫はなく、全て≪副読本≫である、だから収集の対象としていない、という説明でした。

10年以上前の話ですから、今はどうか知りませんが、おかしな話ですよね。

おかげで、道徳の≪教科書≫でどの程度、吉川英治が採用されているのかは、確認できませんでした。
それっきり、調査を中断したままです。

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