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2006年2月20日 (月)

消えるか消えないか

今日2月20日は、歌舞伎の日なのだとか。
慶長12(1607)年のこの日に、出雲の阿国が江戸城で将軍徳川家康や諸国の大名の前で初めて歌舞伎踊りを披露したことに由来するのだそうです。

歌舞伎と言えば、吉川英治の作品も何度か舞台に上っており、その関係から吉川英治は歌舞伎役者とも交流をもっていました。
名優と言われる六代目菊五郎とも親しかったのですが、その六代目と、こんな話をしたことがあるそうです。

六代目(菊五郎)が生きていた頃、ある時、彼が沁々、ぼくに云った。「うらやましいな、あんたの仕事は」「なぜ」「だって、文章は残るだろ。そこへゆくと、舞台の芸なんて、消えちまうもの」――ひと息、おいてから、こんどは、ぼくの方から云った。「うらやましいナ。君の仕事は」「へエ、何がね」「だって、舞台の芸は、消えちまうが、書いたものは、消えないもの。残したくないものまで残るもの」「……あ。そうか」と、笑いあったことがある。
(「折々の記」所収『消える・消えない問答』)

同じ随筆で、徳川夢声からも、文章も映画も後に残るけど、テレビは消えちゃうから楽だ、と言われたとも書いています。

いまや、映像の記録媒体は進歩し、舞台もテレビもその気になればいくらでも後に残せるようになりました。
おかげで、いまや売れっ子になったタレントが、売れない時代の映像を見せられて恥ずかしがる、なんてテレビ番組が、いくらでも見られるようになりました。

しかし、たいていの人がそうだろうと思うのですが、見ようと思って録画したものでも、結局見ないままにしてしまうものです。
残すことが出来るからといって、全てに残すほどの価値があるわけではないのです。

ただ、視点を変えれば、そうした残すほどの絶対的な価値があるわけではないものも、その時々の社会を構成している要素であり、その意味において、資料価値はあります。

そういう意味では、どんなものも消えてはならないのでしょう。
残したくないものでも。

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