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2006年2月10日 (金)

食通

お菓子といえば、吉川英治はこんなことも書いています。

到来物の生菓子のふたをひらく。もらい物をくさすわけではさらさらない。ふと、寸感をもったのである。
きれいだ。菓子とはいえ、光琳梅だの、椿の花だの、意匠、色の配合、一種変わった手芸品ともいえよう。手がこんだものだと感心する。だが、これは菓子だ。菓子にすぎない。手芸品を食べるという感じを伴うのは妙なものだとおもう。
(略)
むしろ、素朴な“ゆであずき”が美味い、と正直にぼくらはいいたい。(後略)
(「折々の記」所収『デザイン過剰』より)

青少年期に社会の底辺の暮らしを味わったからでしょうか、吉川英治は、食については素朴で実質的な、身近なものが良いという思いがあったのでしょう。

なにしろ、若い頃は、1人が1個ずつの卵で、卵かけご飯を食べるのが夢だった(つまり、普段は家族の人数分より少ない卵を1つの碗の中で混ぜ合わせて、みんなで分けていた)と語っているくらいです。

そこで、こういうことになります。

食通の世界なんて、すぐ突き当たるものである。美味い物食いを追う食通などは、おおむね“通の沽券”と“通のジレンマ”ばかり食べているようなものだ。醍醐味は、苦労の遊戯にあると云うならそれも遊びで結構なことだ。しかし結局、死に際には、案外正直に、「水がいちばん美味いや」なんていうかもしれない。
(「折々の記」所収『市味山心』より)

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