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2006年3月 2日 (木)

万年橋

昨年の8月22日の記事にも書きましたが、多摩川にかかる万年橋のたもとに「萬年橋碑」という石碑があります。

吉川英治が原文を書いた、その碑文を今回はご紹介します。

渓谷から田園へと 多摩川の姿は この萬年橋を境として 全く趣を変へて行きます
地勢の示すやうに 由来この渡頭は 河東河南の村々に跨り 吉野御嶽五日市などの要衝に
当りながら 久しく昔の儘の姿で 通路は大雨毎に洗ひ流され 為に対岸の村人は そのたびに糧も
失ひ 交通も絶たれ ただ自然的な宿命の下に 暗澹たる年月を過ごして来たのでした その頃に
吉野村畠中の鈴木義長 机久壽 土方太右衛門 村上民和 土方重太郎等の諸氏が一心発起 架橋
を誓うて財を投じ 官を説き 村人を諭しました 人々もよく和協して 各戸零細を積み
労力を捧げて 遂に明治三十年五月 始めて木橋万年橋を架し 越えて明治四十年 鉄橋と
し 茲に積年の難問題を見事に解決しました またこの事は 実に多摩渓谷に鉄橋架設の
実現を見た 最初のものでもあったのです
見たまへ自然と文化との調和を また半世紀前の村人たちの逞しい文化精神を
山水の美こそは 正に日本の天與です 然し郷土先人たちの愛郷心も公徳心も剋己心も
その美に劣るものではありませぬ ここに遺徳を仰がうとして 一碑を建てたわけであります
朝暮に往来する人々も 観光の遊子たちも 歩をふと橋畔に止められて この一石に心琴を触れら
るる時 なほ郷土には一草一花の薫もあることを 相共に大きな歓とせらるるでありませう

前半は橋の歴史を書いたもので、碑文の白眉は「見たまへ……」以降にあります。

そこにどんな思いが込められているのか。
それは当館に残る碑文の下書き草稿(特別展で展示中)を見れば明らかです。

平和日本のゆくて 文化郷土も眼ざめよの声も頻りの秋 それら先人の徳を慕ふ有縁の人々が一碑を建ててその遺徳を長く仰がうとする志も また美しき余風の一つではありますまいか 歩をとめてこの橋畔に憩はるる観光の遊子も悠久の山河から眸を転じ ふとこの一石に眼のふるる折もあらば 国敗れて山河あるのみならず なほこの一草一花の郷にあることを共に歓びあひたいとおもふ

碑文の書かれたのは昭和21年。

敗戦から一年余のこの時、吉川英治は、苦難に立ち向かった先人に倣い、敗戦の挫折をむしろ糧として、新しい平和日本を築くことを願っていたのです。

さて、万年橋は数年にわたって改修工事が進められてきましたが、ようやく今年6月にその工事も終わるそうです。
その際に、万年橋碑の周りもきれいに整備し直すとのこと。

お近くをお通りの際は、ぜひ足を止めて味わって欲しい碑です。

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