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2006年3月17日 (金)

柚木吉野吟社

再び「青梅の吉川英治」展について。

吉野村(現・青梅市)では、吉川英治の疎開以前から俳句の愛好者たちが小さな俳句の会を互選で開いていましたが、終戦後、吉川英治を選者に招き、本格的な句会が行われるようになりました。
これが柚木吉野吟社です。

初期の同人には、吉川英治から直接俳名を命名された人もいました。
それは黙鍬子・守泉・鉄幹子・和楽・不珍・不染・梅屋・朗風の8人。

それは、例えば、黙鍬子さんは農協にお勤めでしたし、鉄幹子さんは散髪屋という風に、職業に関係するものであったりしたわけですが、それぞれに吉川英治の自筆の命名書が贈られました。

そのうち、現存する不染さんの命名書には、こう書かれています。

不染
染むなき箇性をいふ。自我主義には非ず。濁風悪流に超然たること、併せて塵外の風流心をさしてもいふ。

句会では、上位の者への賞品として、吉川英治の色紙や短冊、あるいは、吉川英治がその句会で抜いた句を清書した帖を贈られたりしました。

今年1月7日付で「俳句の恩」というタイトルの文を書き、そこでも触れましたが、こうして吉川英治が村人たちに俳句の指導をしたことには、自身の苦しい少年時代に、俳句に親しむことで自然に親しみ、生活に楽しみを感じる心を養ったという思いがあったと思われます。
終戦直後の困難な時代にあって、俳句を通して生きる歓びを感じ、希望を持って生きるということを伝えたかったのでしょう。

吉川英治が吟社の新春句会(昭和22年)に参加した時の句を色紙に書いたものを、今回の展覧会で展示しています。

かど松のなき世もありぬ五十年
闇市もいつこへ雪のうるはしさ

なお、柚木吉野吟社は現在も続いており、盛んに投句も行われています。

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