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2006年4月10日 (月)

大衆即大知識

表題は吉川英治の座右の銘です。

インテリは、往々にして大衆を自分たちが教え諭してやらないと何もわからない、無知で愚かな存在だと思いたがる。
確かに大衆の個々の人間の総合的な知識はインテリに劣るかも知れない。
しかし、職業を持っていれば、その職業についての経験知というものがあり、趣味や打ち込むものを持っている者は、その一点については専門家顔負けと言うこともある。
人それぞれがその人生の中で身に付けた知識というものは、インテリが簡単に軽んずることが出来ない、深さと広がりがある。
そうした個々の知を集積した大衆というものは、恐るべき大知識である。

概ねそんな意味です。

わたしは、この「大衆即大知識」という言葉を見る度、これってインターネットだな、と思ったりします。

一つ一つのサイトの持つ情報の量や質は、そのサイトの主宰者の関心いかんによってまちまちですが、検索によってそれらを集積すれば、それは「大知識」になります。
そこから得られるものはとても大きい。
しかもそれを個々人の小さなパソコンで手に入れられるのですから、恐るべきことです。

ただ、現状では、この「大知識」は、とても偏っているように思えます。

インターネット辞典の「Wikipedia」を例にとると、地方のテレビ局に所属し、その周辺地域でしか姿を見ることの出来ない女性アナウンサーの名前が何人も出てくる一方で、吉川英治と親しかった戦前の文筆家の安藤徳器などという人物については、項目がありません。

今の40代より若い人が関心のある、サブカルチャー方面の情報なら、捨てるほどありますが、そこからちょっとはずれた情報は、皆無に等しい。

地方女子アナが安藤徳器より価値がないとは全然思いませんが、逆に安藤徳器が女子アナより語るに値しない人物だとも思えません。
どちらについての情報もあってこそ、インターネットは「大知識」たり得る、と思うのです。

私が、こんな誰が読んでいるかもわからないブログを書いているのも、一つには、そのあたりに狙いがあります。

たとえ、今日一日のアクセス数が少なくても、ブログを介してネット上に吉川英治に関連する情報を撒き散らしておけば、何かの時に検索に引っかかることもある。

ま、吉川英治は安藤徳器と違って、既にネット上に多くの情報があるので、屋上屋かもしれませんが、それでも何かの役には立つのではないか、という気持ちで、毎日書いています。

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