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2006年5月22日 (月)

横浜散歩-番外編

手元にある資料写真などの中から、今回歩いた場所の往時の姿を写したものをいくつか並べてみましょう。
Benten
これは「横濱辨天通り」と題した絵葉書。
弁天通は≪南中舎≫のあった南仲通より1本陸側の通りです。
おそらく、通りの奥に見えている大きな建物が横浜正金銀行(現・県立歴史博物館)でしょう。
看板に横文字が多いのが、いかにも横浜ですね。

Onoe
こちらは「横濱尾上町通り」と題する絵葉書。
ということは、通りの左手にある赤く彩色された尖塔のある建物が指路教会ではないでしょうか。
したがって、その通りを挟んだところに≪日進堂≫があるはずですが、写真のアングルが悪くて、手前の大きな建物の後ろ隠れてしまっています。
残念。

尾上町通の奥に見えているのは、大江橋でしょうか。
その大江橋の先には、当時の横濱停車場、今の桜木町駅があります。
Teishaba
それがこれです。
なかなかいかした駅舎です。

ちなみに、この3枚の絵葉書は明治から大正にかけて発行されたものを復刻したもので、先日、横浜都市発展記念館で購入しました。
日本で私製絵葉書が解禁されるのは明治33年のことですから、それ以降の情景であることは間違いありません。
上の2枚には色がついていますが、当時はまだカラー写真はなく、いわゆる手彩色絵葉書です。
ですから、色については、実際通りである保証はありません。

Yokohamadock
これは、当館にある資料写真(といっても複写ですが)で、横浜ドックの往時の姿です。
真ん中近くにあるのが2号ドックで、左端にあるのが1号ドックでしょうか。
背後にかすかに見えている山は、伊勢山か掃部山だと思われます。

Kankan
これも資料写真として所蔵しているものですが、ドック内での作業風景。
正確な時代はわかりませんが、命綱をつけたりしているので、吉川英治の時代よりは、かなり後なのではないでしょうか。
しかし、よくこんな不安定な場所で作業ができるものです。
私なんぞは、この板の上に立つことすらできないでしょう、怖くて。

Shodai
これは「日本名勝風俗大写真帖」(昭和6年4月 忠誠堂刊)という本に掲載された掃部山公園の井伊直弼の銅像です。
発行年からして先代の銅像に間違いありませんが、今のものとあまり変わりがないですね。
真似て作ったのか、あるいは共通の元になった肖像画があるのでしょうか。
ちなみに、公園の解説板にはこうあります。

当時の銅像は、藤田文蔵、岡崎雪声によって製作され、その姿は「正四位上左近衛権中将」の正装で、高さは約三.六メートルを測りました。しかし、当初の銅像は、昭和一八年に金属回収によって撤去され、現銅像は、昭和二九年、横浜市の依頼により、慶寺丹長が制作したもので、その重さは約四トンあります。
なお台石は妻木頼黄の設計で、高さは約六.七メートルあり、創建当初のものが残っています。

そして、再建されたものは、東京都世田谷区豪徳寺にある井伊大老像をモデルにしているそうです。
先代もそうなのかもしれませんね。

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コメント

はじめまして。検索ページのリンクを辿ってやってきました。

今日、ちい散歩という番組で、横浜の絵葉書について取り上げられていました。具体的にどんな感じだろう?と思いまして、検索してみたところ良いページがあったので、喜んでいる次第です。

さて、今回、コメント欄に書かせていただいのは、このページを読ませていただいて、この記事を私のブログのページでご紹介させていただいたお知らせも兼ねて参りました。もしも、このご紹介について不都合があれば、お詫びを申し上げると共に、その旨、私のページの最新のコメント欄にご一報下さればうれしいです。確認でき次第、紹介の方はとりやめさせていただきます。もちろん、リンク継続OKということであれば、ご一報下さる必要はございません。今後ともよろしくお願いいたします。http://sapuri777.blog31.fc2.com/<--最新のページ

投稿: テレビなコラム | 2007年4月 2日 (月) 22時44分

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