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2006年5月24日 (水)

谷中うぐいす

まったく唐突に、数年前のテレビ番組制作会社からの電話を思い出しました。
「ある映像を使用したいので吉川家の許可を得たい」というのが用件でした。

その番組はテレビ東京系の「美の巨人から」。
取り上げられたのは横山大観。
使用許可の依頼があった映像は、横山大観が≪谷中鶯≫を歌っている映像でした。

番組中では瞬間のことで気づかなかった方も多いと思いますが、その映像は横山大観と吉川英治がテレビで対談した時のものなのです。
昭和30年、横山大観の米寿記念の展覧会でのことです。

吉川英治は、この時のことを「落日の荘厳に似る」という、横山大観を追悼する文章の中に書いています。

なんと、対談中、酒好きで知られる大観は、番茶の土瓶に日本酒を入れ、それを茶碗で飲んでいたのだそうです。
英治の方も、勧められるままに、ついつい飲んでしまったとか。
つまり、テレビの画面上はお茶で口を湿しているように見えて、実は、酒を酌み交わしていたというわけ。

なかなか無い情景ですね。

しかし、そのおかげで、大観の≪谷中鶯≫が飛び出したのだそうです。

その大観と≪谷中鶯≫の話を、吉川英治は、別の随筆にも書いています。
吉川作品の挿絵も書いた画家の新井勝利からの伝聞と断って、こう書きます。
日本美術院の総会でのことだそうです。

(略)大観氏もめずらしく大酔の果て、例の老画学生ぶりを発揮して、「谷中うぐいす」を歌い出した。ところが、この歌の意味が今の新進にわからない。
というよりも「谷中うぐいす」が歌われていた時代の“夢”が今の中堅や新進の人にはない。あの頃の大観や古径や春草や誰や彼やが矜持していた苦節とか気概とか、上野の森を中心とするりんりたる美校男子の水々しさも誇りもない。
老大観の歌うのを見て、ひそかに、杯中に涙をたれた人もあるそうだが、分らない者は、ポカンとして、大観が寝仆れたのを、瘋癲病でも見るようにクスクス笑っていたという。
(随筆「鶯」より)

近代美術史に疎い私も、≪谷中鶯≫の何たるかがわかりません。どんな歌かも知りません。

そこで検索してみました。

東京美術学校の創設に尽力し、初代校長となりながら罷免の憂き目に会った岡倉天心が、谷中初音町に新たに日本美術院を興した時、即興で作ったのが≪谷中鶯≫の詩で、日本美術院の院歌として歌われたもの、ということがわかりました。
そして、その歌詞はというと、こんなものです。

谷中鶯 初音の血に染む 紅梅花 堂々男子は死んでもよい
奇骨侠骨 開落栄枯も 何のその 堂々男子は死んでもよい

番組中の映像では、歌詞がはっきり聞き取れませんでしたが、こうして文字にして見ると、自分たちの信じる理想の芸術を追求することへの強い志が感じられます。

英治は、大観の「谷中うぐいす」に、老いてなお枯れることのない若々しい魂を見たのでしょう。
納得がいきました。

ちなみに、吉川英治と横山大観は意外にも気が合ったようで、実は長年の交流がありました。
大観が、英治の長女・曙美の名付け親になっているくらいです。
しかし、この対談を最後に、以後、会う機会を失したままになってしまったのだそうです。

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