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2006年5月 6日 (土)

芍薬の使者

一昨日、ヤマシャクヤクの写真を載せましたが、今朝はもう散っていました。
花の命は短いですね。

ところで、シャクヤクと言えば、吉川英治の小説「宮本武蔵」の中の『芍薬の使者』の場面が思い出されます。
「宮本武蔵」の中でも最も印象的な場面の一つでしょう。

吉岡伝七郎から試合を求められた柳生石舟斎が、それを断るためにお通を伝七郎の滞在する宿に使者に出す。
お通は断りの文とともに、石舟斎が手ずから切った芍薬の一枝を伝七郎に届ける。
試合を断られたうえに花を贈られた伝七郎は立腹し、芍薬をお通につき返す。
その芍薬をお通は宿の手伝いの娘に譲る。
偶然にも同じ宿に泊まっていた武蔵の部屋に、娘がその芍薬を持ち込む。
武蔵は、その芍薬の枝の切り口を見て、そこに並々ならぬものを感じる。
そして、それが柳生の城から届けられたものと知り、柳生の剣の奥深さを感じる。

という場面です。

長谷川櫂著「俳句的生活」(中公新書 2004年)に、この場面への言及があるというので、ちょっとその部分を読んでみました。

それは第1章『切る』の冒頭。
この章で著者は、芍薬の切り口に何も感じなかった吉岡伝七郎とそこに非凡を見た宮本武蔵というこの挿話を枕にして、俳句の「切れ」の味わいを論じています。

吉川武蔵には、娯楽小説として楽しめるだけでなく、こうした引用の仕方を可能にする教訓めいた部分も多分にあります。
それは人によっては批判の対象となるものですが、しかし、この両面があるからこそ、小説「宮本武蔵」は現代まで読み継がれてきたのだとも言えます。

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