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2006年5月18日 (木)

横浜散歩-その4

Yoshidabashi
馬車道を進んで、JRのガードをくぐった先にある小さな橋が、吉田橋です。

明治2年、この場所に日本最初のトラス鉄橋が架けられました。
鉄橋ということで、人々はこれを≪鉄(かね)の橋≫と呼びました。

Kanenohashi橋のそばにある案内板には、現在の橋の高欄は≪鉄の橋≫を模したものだと書かれていますが、なんと言うか、いまは風景の中に埋もれてしまって、そんな風情はまったく感じられません。
パッと観ると、そもそも橋があるのかどうかすらわからないくらい存在感がありません。
また、橋の下は、いまは高速道路で、水ではなく車が流れています。

そんな橋のすぐ近くに、一時期、吉川家が居を構えていました。

明治42年、貧困の中、やむなく奉公に出した浜子(吉川英治の妹)が、奉公先で病に倒れ、家に帰されてきたものの、そのまま世を去ります。
9歳でした。
英治にも、母・いくにも、生涯の悔恨として心に深く刻まれることになった出来事でした。

運命は悪戯者というが、こんな弱者の家庭へも同じに見舞った。皮肉にも浜子の死後まもなく、ちょっと家運が開けた。どういう金が入ったのか、家は鉄ノ橋側の吉田町二丁目へ引移った。(略)
吉田町の家は、繁華街のすぐ横で相当な構えの家であった。

また、『忘れ残りの記』巻末の自筆年譜には、「初めて電灯のある住宅に住む」とありますから、結構な家だったのでしょう。

さて、吉川英治記念館には、吉川英治の戸籍謄本のコピーが展示してありますが、その住所は≪横浜市吉田町弐丁目五拾八番地≫。
実は、作家デビュー後の大正15年8月まで、ここが本籍地だったのです。

ただし、この戸籍謄本は、本来の原本が関東大震災で焼失したために、再発行したものです。
したがって、再発行の際に、吉川家が横浜で最後に住んだこの住所で申請した可能性はあります。
皆さんもそうだと思いますが、引越すたびに本籍を動かす人は滅多にいませんから。
焼失するまでの戸籍謄本は、吉田町以前に住んだ、羽振りの良かった頃の家の住所になっていたかもしれません。

Yoshidacho
それはさておき。
吉田橋から桜川橋に向う道と都橋に向う道に挟まれた三角地帯が、その住所にあたります。
本には、第一生命ビルとあります。
ビルの名称はそのままかもしれません(確認しませんでした)が、いまはテナントの不動産会社が目立っています。
なお、このビルの敷地が全てかつての吉川家だったわけではなく、その一部分であろうと思われます。

次は、野毛山に向います。

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