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2006年5月16日 (火)

横浜散歩-その2

川村印章店を追い出されたのをいいことに、しばらくは実家でブラブラしていた吉川英治。
まあ、その時13歳だったのですから、それが普通なのですが、しかし、当時の吉川家は普通ではありませんでした。
父親は裁判沙汰の末に投獄されていて不在、恵まれた家に生まれ育った母親は自らたつきを立てる才はない。
当然、家は困窮していく。
そこで、意を決した英治が、新聞の職業案内欄から自分で探し出して勤めることになったのが、印刷会社の南仲舎でした。

Nanchusha
本によると、正確には≪南中舎≫。
場所は南仲通4丁目。
写真のメナードの看板の出ているビルからその隣のレストランのあるビルあたりにかけてが、南中舎の所在地だったようです。

先程の川村印章店から、歩いても10分とかかりません。

南仲通りには、生糸取引所とか、米穀仲買商などが軒を並べていて、活版所はその喧騒の中にあった。だからここで印刷されるのは、相場の気配新聞や商事関係が殆どといってよい。

Ginko
南中舎の場所から南仲通を北西に向うとすぐに、いわゆる馬車道と交叉します。
そこに神奈川県立歴史博物館があります。
明治37年に建てられた横浜正金銀行本店の建物を利用した博物館です。
建物は国指定の史跡です。
吉川英治が南中舎に勤めたのは明治38年ですから、前年には既に出来ていたことになりますが、『忘れ残りの記』には言及がありません。
本当に目と鼻の先なのですが。

南中舎に勤めた期間が1年足らずであったこともあるのでしょうが、そういう華々しいものに対しては引け目を感じ、背を向けたくなるような、そんな心情だったのかもしれません。

この南中舎で、吉川英治は人生最初の給料を得ます。

以前の川村印章店では、一銭の小費いも、徒弟初期には無い約束だったから、自分で働いて得た金は南仲舎が初めてなのだ。それをポケットにして帰る日の夕方には、やたらに何か買って帰りたかった。(中略)けれど母に見せないうちは、一銭減らすのも何だか惜しまれた。

こんなところにも、母親への想いが透けて見えます。

次は、馬車道を南西に歩いて尾上町に向います。

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