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2006年6月28日 (水)

写真コンテスト結果発表

第9回吉川英治記念館写真コンテストは、6月26日に選考会を行い、以下の方々が入賞と決まりました。

☆金賞(1点)
「二人だけの卒業式」滝井千恵子(静岡市)

☆銀賞(3点)
「鯉幟」関根博文(武蔵野市)
「お幸せに…」平野昌子(横浜市)
「静かな日(3枚組)」宮田憲雄(広島県府中市)

☆銅賞(3点)
「成人の日」鍵本裕次(広島市)
「憩の花畑」向井寛(川西市)
「春の日」山田英雄(静岡市)

☆入選(21点)
「いっしょに行こう」浅岡由次(知立市)
「佳日」足利義信(一関市)
「私の大事なもの」今枝進(さいたま市)
「思いはひとつ」内田貴治(墨田区)
「桜咲く頃(2枚組)」榎戸勝洋(青梅市)
「イベントの日」大岡雅人(高崎市)
「想い」大西宏徳(稲沢市)
「ひまわり家族」大西弘行(多度津町)
「参詣の道(4枚組)」岡本聖(八幡市)
「公園散歩」奥野喜久雄(名古屋市)
「ローカル駅」亀田せきせい(田辺市)
「姉ちゃんの看護」川口愛子(高梁市)
「娘と母」荘田正博(北広島市)
「友情」高橋寿(湯沢市)
「仲良し」田中和夫(逗子市)
「古都の朝」千原一司(明石市)
「幸せになーれ!」中世古隆男(伊勢市)
「安心の場所」西川善雄(豊島区)
「「運動会」を楽しもう」ハンダシンカズ(坂井市)
「「おめでとう」と「ありがとう」」山田真菜美(青森市)
「お里の夏祭り」横山宣明(東村山市)

入賞者の皆さん、おめでとうございます。

なお、上位入賞作品は本体サイトの方に遠からず掲載しますが、しばらくお待ちください。

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2006年6月25日 (日)

翻訳されている日本作家

いままでに何度か吉川作品の翻訳(というか「宮本武蔵」の翻訳)について書きましたが、普段愛読しているサイトで、こういうランキングを知りました。

「翻訳されている日本作家ベスト10」だそうです。
ユネスコによる“Index Translationum”というサイトに掲載されているものだそうですが、なぜかそこにたどり着けないので、その愛読しているサイトから孫引きさせてもらいます。

TORIYAMA, AKIRA 249
MISHIMA, YUKIO 247
KAWABATA, YASUNARI 161
OE, KENZABURO 134
TANIZAKI, JUN'ICHIRO 124
INOUE, YASUSHI 115
ENDO, SHUSAKU 110
MURAKAMI, HARUKI 104
ABE, KOBO 104
CLAMP 90

吉川英治の名は見えません。
なぜでしょう?

名前の後ろの数字は発行部数でしょうか。
単位はいくつでしょう?
1000部でしょうか、10000部でしょうか。
どちらだとしても、吉川英治の名が入っていておかしくないはずなのですが。

統計を取った時期や方法のせいでこぼれているのでしょうかね。

それはさておき、並み居る大作家を抑えての1位が鳥山明というのが凄い。
もちろん「ドラゴンボール」によるものでしょう。
漫画だからと別扱いにしないところがいいですね。

10位のCLAMPも漫画家。
「カードキャプターさくら」が代表作になるんでしょうか。
読んだことないのでよく分からないのですが。

今後、こうしたランキングに入る漫画家は増えていくのでしょうね。
それが「古典」として受け継がれていくのかどうかは、いささか疑問はありますが。

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2006年6月24日 (土)

門札

Img_7325
昨日の長屋門の写真は庭内から撮影したもの。
外から見ると、この写真のようになります。
門の前の道が幅2メートルほどの狭い道なので、よほどの広角レンズでも使用しないと全景が撮れないのです。

ところで、この門の柱に吉川英治記念館の看板と吉川英治の庵札がかかっているのが見えるでしょうか。

アップにしたのがこの写真です。

Kanban
この看板の「吉川英治記念館」の文字は画家の東山魁夷の筆によるものです。
長年、人が触っているうちに文字がすっかり薄れてしまいました。
そろそろ作り直さないといけません。

一方の庵札の方は、よく来館者の方から、何と書いてあるのか、と尋ねられます。
これは、篆刻で「草思草堂」と刻まれています。
一文字目の「草」と三文字目の「草」の書体が異なっているので、皆さん戸惑われるようです。
もちろん、吉川英治の号「草思堂」にちなんだもので、「草思」という名の「草堂」ということを指しています。

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2006年6月23日 (金)

長屋門

Img_7331
で、こちらが長屋門です。

長屋門というのは、門の脇に袖部屋があり、門と袖部屋で一連の建物になっているような門のことで、武家屋敷や豪農の屋敷に見られるものです。

吉川英治記念館の開館時に袖部屋を事務所に改装し、さらに近年ミュージアムショップに改造しましたが、建物自体は江戸時代のものです。

袖部屋のある長屋門は原型のままにしてある。先頃まで疎開の人を住ませていたが、いまは片方は、薪炭だの農具や菜根の物置とし、片方の袖部屋には、ぎっしりぼくの雑書がつめこんである。つまり文庫代りといってよい。
門は閉め通しで開けたことはない。この門を抜けて檜皮葺の母屋の屋根を見るところに、旧家の前栽が感じられるのであろうが、ぼくのような老書生が客を迎えるには、ちとものものしい気もして、いやなのである。それにまた、たいへん客が廻り道をすることになるので、古い裏木戸を門に直して、通路としている。
(随筆「ぼくのいなかや」より)

裏木戸を直した門というのが、昨日紹介した通用門のことです。

物置にしていたという袖部屋が、現在のミュージアムショップです。

館長の吉川英明の記憶では、この物置にしていた袖部屋は床が無い土間で、そこに防空壕が掘られていたそうです。
父・英治と共に、何度かその中に入ったそうですが、建物の中に防空壕を造って、万が一上の建物が火災になった時は、どうするつもりだったのでしょうか。
とても危険な気がするのですが。

ちなみに、ミュージアムショップに改造する際に床をはがしたので、防空壕が本当にあるかどうか見てみましたが、それらしいものはありませんでした。
戦後に埋め戻されたのでしょう。

ちゃんと発掘でもすれば痕跡が確認できると思いますが、そんなことに時間も人も割く余裕はなかったので、そのまま工事を進めました。

将来、再度ここを改装することがあれば、その時には発掘してみたいような気もします。

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2006年6月22日 (木)

Img_7310
現在、吉川英治記念館には大小6つの門があります。

写真は、そのうちの通用門と呼んでいるもの。

敷地南側にある長屋門を記念館の入り口としているため、対比上、通用門と呼んでいるわけですが、吉川英治が生活していた時には、長屋門は閉じたままにして、この通用門を正門としていました。
表を通る吉野街道に面していて、便利だったということもあるのでしょう。

実は、この門は、吉川英治のデザインしたものです。

門は引き戸になっていて、戸板は雨戸のように、一ヶ所にまとめられるようになっています。
完全に開け放つと、結構大きな空間になります。

なんと、当時は、ここから自家用車が出入りしていました。

今は門の前が駐車場になっていますが、元々は梅林でした。
駐車場にする際に門の前を階段にしてしまいましたが、元々は梅林を抜ける坂道になっていました。
そして、これも駐車場にする際に壊してしまいましたが、門を入って右側にガレージがあったのです。

吉川英治記念館開館当時はまだ梅林がありましたが、私がこの記念館に職を得た時には、既に梅林は駐車場になっていましたから、その当時の姿を私は知りません。
きっと風情があったことでしょう。

車社会に対応するためにはやむを得ないことですが、もったいなかったなと思いますね。

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2006年6月21日 (水)

深山幽谷

Img_7305
今日は一日すっきりしない天候で、周囲の山々には、ずっと靄がかかったままでした。

でも、私は、そういう時の山の眺めが結構好きです。
この写真でうまく伝わるかわかりませんが、ちょっと深山幽谷の風情があると思いませんか。

何より、裏山の送電線の鉄塔が見えないのがいい。
あれがあると、景観が台無しですから。

天気が悪ければ悪いなりに、楽しみ方はあるものです。

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2006年6月20日 (火)

版画新作

Syouma
はらださち版画シリーズ「草思堂の花々」の新作が出来ました。

上からクロユリ・レンゲショウマ・キンミズヒキです。

限定30枚、各525円です。

なお、レンゲショウマは花の部分が実物は紫色になっています。
スキャナーで取り込んだらなぜか色が消えてしまいました。
スキャナーでは認識できない色だったようです。
残念。

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2006年6月18日 (日)

指定管理者制度

先日、全国文学館協議会の幹事会に出席しました。

最近、全国文学館協議会で深刻な話題となっているのが、指定管理者制度です。

この制度は、大まかに言えば、地方自治体が設置した公共施設の運営を自治体が指定する民間組織に委託する制度です。
民間に委託することで、サービスの向上を図りつつ、自治体の財政負担を小さくしようというのが、その目的なのでしょう。

吉川英治記念館は、元々民間の財団法人によって運営されています。
よく来館者の方から、「ここは青梅市が運営しているんですか」などと聞かれたりしますが、そういうことですので、当館には公金は全く入っていないのです。

したがって、この制度に関しては、対岸の火事という感覚が個人的にはぬぐえないのですが、文学館の大半を占める公立の館にとっては、非常に深刻な問題です。

切迫感が無いなりに、拙い頭で問題点を考えてみましょう。

指定管理者は、数年ごとにその運営内容が評価され、それに基づく審査によって、委託契約を継続するかどうかが決められます。

まず、一体何を評価するのでしょう。

入館者数やミュージアムグッズの売上げでしょうか。
わかりやすく数値で測れるものは、そんなものしかありません。
もちろん、これは重要な数値で、ないがしろにしていいものではありません。
しかし、それだけで博物館・美術館の価値を測れるものでしょうか。

また、博物館・美術館の資料は、未来からの預かり物でもあります。
適切に管理し、未来へと橋渡ししなければなりません。
数年ごとに管理者が代わりうるような制度の下で、それが可能でしょうか。

もちろん研究活動についても、それは言えます。
管理者が代わる度に学芸員が代わるというのでは、一貫性のある人材育成が出来ません。
それこそ博物館・美術館の価値を損なうことになるのではないでしょうか。

そもそも、ある指定管理者のもとで購入された資料は、一体誰の所有物になるのでしょう。
運営は民間の管理者、資料の購入は地方自治体という形にするのでしょうか。
そんな状態で、コンセプトのある資料収集が可能なのでしょうか。
どんな資料があるかということこそ、博物館・美術館の価値そのものだと思うのですが。

指定管理者制度下で想定できる最悪のシナリオは、博物館・美術館が単なるイベントスペース化してしまうということです。
自治体はコレクションの拡充を行わず、管理者は博物館・美術館の内容を充実させることには重きを置かず、集客力の高そうなイベントばかりを企画し、研究活動には人も資金も割かない。

かつて、自治体が競い合うように博物館・美術館・コンサートホール・競技施設などを建設していた頃、「箱物行政」などと揶揄されましたが、こうなってしまったら、本当に中身ナシのただの≪箱≫に成り下がってしまいます。

しかし、私自身は、こうしたバカな騒動に巻き込まれずにすむ立場にいながら、何ほどのことをしているのか、などと考えると、非常にヘコむので、このへんで思考停止に。

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2006年6月17日 (土)

佐屋川句碑再考

先日書いた吉川英治の佐屋川句碑についての文章にコメントがつきました。

それは「散歩をしている時間が短く感じられたという意味」ではないかというものです。

なるほど、そう考えるとしっくりきます。

友人との旅先。
月影の下で語りあう時間は、あっという間に過ぎてしまう。
随分な長さに思えた土手の道も、気がついたら歩き通してしまっていた。

そんな感じでしょうか。

何か傍証になるようなものが見つかるといいのですが。

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2006年6月13日 (火)

父と夫と

今回の追悼特別展「英治と文子 吉川夫妻の70年」の準備をしている時にひとつ気がつきました。

というか、恥ずかしながら今回まで知らなかったのですが、文子夫人の父・池戸末吉の命日は、昭和12年2月13日なのです。

なのです、と何を力んでいるのかというと、こういうことです。

吉川英治は、この年の8月2日~24日に、毎日新聞の特派員として北支従軍に出かけているのですが、その間に前妻・やすとの離婚が成立し、帰国後に、文子夫人と結婚しているのです。

つまり、文子夫人は、年の初めに父親を亡くし、その年の秋に英治と結婚したことになります。
母親は既に昭和6年に亡くしていますから、両親共に失ったところで、結婚したわけです。

その結婚した相手は、28歳も年上。
親子の年齢差です。

そんなこともあって、吉川英治夫妻の関係は、夫婦であると同時に、親子でもある(さらに言えば師弟とも言える)間柄なのだと今までも理解してきました。
それが、今回、実際に、文子夫人にとって、父・末吉と入れ替わるように夫・英治を迎えたことになるのだと知って、ちょっと感慨を覚えたのでした。

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2006年6月12日 (月)

スポーツ観戦

サッカーワールドカップで、世界中大騒ぎですね。

サッカーにせよ、野球にせよ、近代スポーツというのは、明治期にお雇い外国人らによって伝えられ、主に学校スポーツとして普及していきました。

したがって、小学校中退の学歴しかない吉川英治は、近代スポーツ、特に球技には、ほとんど縁がありませんでした。
例外はゴルフで、チームスポーツについては全く無縁でした。

そんなわけで、ワールドカップでも、ゴルフのワールドカップ(当時はカナダカップ)で日本の中村寅吉・小野光一ペアが優勝した(昭和32年)ことについて触れた文章はありますが、サッカーの方に触れた文章は見当りません。

まあ、当時は、サッカーはマイナースポーツでしたし、ワールドカップには未出場、メキシコオリンピックでの銅メダル獲得は後の話(昭和43年)、という時代ですから、仕方がないのですが。

そんな中、当時の秘書の記録を見ると、昭和31年の10月14日と17日に、プロ野球日本シリーズの西鉄対巨人戦を観戦したことが記されています。
ちなみにこの年は、4勝2敗で西鉄の優勝。
見たのは第4戦と第6戦でいずれも西鉄の勝利でした。
第4戦は長男・英明の解説を受けながらの観戦だったそうです。

野球よりも、そのことの方を楽しんだのではないか。
そんな気がします。

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2006年6月11日 (日)

朗読の会

おかげさまで無事、加藤武さんの朗読の会は終了いたしました。

Dscf0052

あいにくの雨のため、結局30人ほどの参加者に留まりましたが、その分じっくりとお聴きいただけたのではないかと思います。

口演は当初、前説も合わせて1時間ぐらいということでしたが、加藤さんがご熱演下さり、1時間半ほどのものとなりました。

登場人物ごとに声色や調子を変え、とても迫力のあるものでした。

加藤さんは、引き続き、巌流島の場面まで朗読会をやっていきたい、その際には、またこの草思堂母屋でやりたいとおっしゃってくださっていますので、またいずれの日にか、改めて朗読会を開催することもあると思います。

その時はぜひお運びください。

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2006年6月10日 (土)

加藤武朗読の会

俳優・加藤武さんによる「宮本武蔵」の朗読会が、いよいよ明日となりました。

改めてご紹介します。

多くの方のご来館をお待ちしております。

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加藤武朗読の会

吉川英治原作「宮本武蔵」火の巻より『風車』(約50分)
朗読:加藤武
2006年6月11日(日)
開演:午後1時、午後3時(2回公演)
会場:吉川英治記念館母屋にて

*昨年より吉川英治先生作「宮本武蔵」の朗読に意欲を燃やす、俳優加藤武が吉川英治記念館にて奉納の朗読会を開きます。観覧は無料ですが、吉川英治記念館への入場料が必要になります。
定員は各回50名。申し込みは不要ですが、定員を大幅に超えた場合は入場制限をする場合がございます。
ご了承ください。

<会場・問い合わせ先>
吉川英治記念館
〒198-0064
東京都青梅市柚木町1-101-1
電話(0428)76-1575

<交通> 
JR青梅線二俣尾駅下車徒歩15分
または青梅駅下車ののち都バス「吉野(玉堂美術館)」行きで「柚木」バス停下車

自動車の場合は中央高速・八王子インターから45分/圏央道・青梅インターから20分

<入館料>
大人500円/中高大学生400円/小学生300円

≪加藤武氏プロフィール≫
Photo
1929年5月24日生まれ。文学座所属の日本を代表する
新劇俳優。黒澤明作品をはじめとする多くの映画やテレビに出演。
最近は、「宮本武蔵」など語りの会を重ね、好評を得る。
今年は喜寿を迎えるがますます壮健。
市川崑監督の「犬神家の一族」(来年公開予定)にて
当り役の等々力署長で出演、撮影中。

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2006年6月 8日 (木)

絶版

夫婦の機微は、他人には分りません。
どの夫婦にも共通する部分もあるでしょうが、結局、それぞれの夫婦にはそれぞれの形があり、それは外からとやかく言うようなことではないでしょう。

まして私は独身なので、そういう部分には、ちょっと立ち入れません。

そう考えたので、今回の追悼特別展では、夫婦のことは夫婦に語ってもらおうと思い、吉川夫妻が語ったり、書いたりしたものを抜粋して展示しました。

用いたのは、吉川英治が自分の結婚についてスピーチしたものを文章にした『ある結婚披露式』と、文子夫人が夫婦生活を回想した『お父さま、ごめんなさい』です。

さて、来館者の方から、これらについて、とても興味深いので全文を読んでみたいのだけれど、それが掲載された書籍は販売していますか、とお尋ねいただきました。

残念ながら、これが絶版になっているのです。

しかし、せっかくお尋ねいただいたので、図書館などでお探しいただけるように、書誌データをご紹介しておきます。

◎『ある結婚披露式』

○「どうか娘を頼みます」六興出版 初版は昭和44年10月、新装版は昭和52年8月(タイトルを『わが告白』と変更)
○「吉川英治文庫161 書斎雑感」講談社 昭和52年8月
○「吉川英治全集47 草思堂随筆」講談社 昭和45年6月

他にもありますが、このあたりが探しやすいと思います。

◎『お父さま、ごめんなさい』

○「わたしの吉川英治 ―その書簡と追憶」文藝春秋新社 昭和38年2月

ご参照ください。

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2006年6月 7日 (水)

山登り

吉川英治記念館は吉川英治が実際に生活した家の敷地に建っています。
吉川英治がここに住んでいたのは、今から62年前から53年前まで。
ですから、もう皆さんご高齢ですが、地元には、実際に吉川英治と接したことがあるという人がまだたくさんいらして、時々当時の話などを耳にすることがあります。

先日も、草思堂庭園の手入れに入ってくれている地元の方から、こんな話を聞きました。

自分の親戚が奥多摩にいるが、昔吉川英治が山登りの途中にその家に立ち寄ったことがある。
奥さんも一緒に来ていて、縁側で赤ん坊に乳をくれていた。
ぼた餅を振舞ったのだが、出発する段になって、奥さんがもじもじしているので、どうしたのかと思ったら、ぼた餅が美味しかったので残っている分をくれないか、というので、分けてあげた。

吉川英治は、昭和25年に、現在の奥多摩周遊道路にあたるコースを、文子夫人をともなってハイキングしたことがあります。
この時、わざわざ茶道具を持って行き、山中で文子夫人による野点を楽しみました。

その写真を今回の追悼特別展で展示しようと準備している最中に、こんな話を聞いたので、ちょっと驚いてしまいました。

さて、私はこの山登りのことは知ってはいましたし、その時に撮影された写真も当館に残っているのですが、その中には、赤ん坊を連れた写真はありません。
そのため、赤ん坊を連れていたというのは、この話で初めて知りました。
ただ、考えてみれば、昭和25年6月に次女の香屋子が誕生しています。
山登りは秋頃らしいのですが、だとすると、乳飲み子がいて不思議はありません。
むしろ、頻繁に授乳が必要な時期でしょうから、連れて行く方が自然かもしれません。

今度機会を見て、吉川家の皆さんに確認してみようと思います。

それと、ぼた餅をわざわざもらって行ったのは、家で待っているあとの3人の子供たちのためなのではないかと思うのです。
それも確認してみたいと思います。

なお、その時の写真は、予定通り、展示しています。

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2006年6月 6日 (火)

追悼特別展

本日から吉川文子名誉館長への追悼特別展として「英治と文子 吉川夫妻の70年」展を開催します(8月6日まで)。

大正9年8月9日に東京下谷で生れた文子夫人は、身体の弱い父を助けて家計を支えるために働きに出た料理屋で吉川英治と知り合いました。
時に昭和10年。ちょうど「宮本武蔵」の執筆に取りかかったばかりの頃でした。
交際の後、結婚したのは昭和12年。英治は45歳、文子夫人は17歳でした。
翌昭和13年に誕生した長男の英明を筆頭に2男2女の4人の子供に恵まれましたが、昭和37年、42歳で夫・英治を亡くしました。

文子夫人は若くして英治と死別した後、40年以上にわたって、吉川家の中心として、英治の業績と遺徳を世に伝える役割を果たしてきました。
昭和41年の財団法人吉川英治国民文化振興会発足と同時に理事に就任。
昭和52年に吉川英治記念館が開館した後、昭和63年から吉川英治記念館館長となり、平成14年に長男・英明に館長を譲り、名誉館長となりました。
これらは形だけのものではなく、とりわけ、吉川英治記念館開館後は、足しげく記念館に通って、来訪する吉川文学ファンと気さくに語らい、その人柄で慕われてきました。

「同行二人」という言葉があります。遍路は1人でも常に弘法大師と共にある2人連れだ、という意味の言葉です。
吉川英治と文子夫人の結婚生活は25年間、出会ってからでも27年間。それが2人が実際に共に過ごした時間でした。
しかし、英治亡き後の文子夫人の後半生も1人だけの人生ではなく、まさに吉川英治と「同行二人」の人生だったと言えるでしょう。

この追悼特別展では、2人が出会ってから文子夫人が亡くなるまでの70年余を「2人」の人生として、小規模ながら、振り返ってみたいと考えています。

吉川英治が文子夫人との交際中に送ったラブレターや、やはり交際中に作った詩歌類など、そして、数多く残されている夫妻の写真の中から40点余りを展示しています。

ぜひご来館ください。

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2006年6月 5日 (月)

受領証

6月1日付で、館報「草思堂だより」15巻2号を発行しました。

ところで、館報を送付すると、必ず礼状を下さる方が何人かいらっしゃいます。
とてもありがたいことです。
内容について触れてあったりすると、きちんと読んでくれているのだなと、うれしくなります。

一方、釈然としないのが、博物館施設などからの受領証としての礼状です。

何かを送られたら礼状を返すのは礼儀ではあるのでしょうが、結局印刷したものを形式的に送りつけてくるだけなら、それは単に無駄でしかないと思えてしまいます。

ちなみに、現在当館ではおよそ300ヶ所に館報をお送りしています。
そのうちの約半数が博物館施設などへの送付分です。
大体の施設からは、逆に当館に対して館報などが送られてきます。

どこも状況は似たり寄ったりだと思うのですが、だとすると、印刷代や送料を考えると、礼状も馬鹿になりません。
かなりの経費負担です。

こういう習慣は不要だと思うのです。

少なくとも、当館では、受領証が来なかったからといって文句を言ったりはしません。むしろ大歓迎です。
安心して廃止してください。


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2006年6月 4日 (日)

新刊書から

新刊といっても少し前のものですが、2月に「おじさんはなぜ時代小説が好きか」(関川夏央 岩波書店)という本が出ました。
最近になって書店で見つけて購入しました。
中に、吉川英治を中心的に取り上げた≪吉川英治の『宮本武蔵』と「修養主義」≫という章があります。

面白く読んだのですが、中にひとつ大きな事実誤認があるので、指摘しておきます。

女性に対する愛着と恐怖、これも吉川英治の実生活の反映かもしれません。吉川英治がこの小説(注:『宮本武蔵』のこと)を書きはじめた昭和十年夏、彼はある女性と知り合って非常に親しくなった。その件で奥さんに責められて、つらさのあまり、ふと縁先にあった女中の下駄をひっかけて、そのまま温泉に逃げたといいます。それくらいこわい奥さんになったのは、吉川英治が蒔いた種のせいには違いないのですが。

53ページにこう記述されています。

吉川英治というと、非常な人格者のようにイメージする人が多いと思いますが、これは、吉川英治の数少ない女性スキャンダルで、実際に、こんな出来事があったのです。

ただ、年が間違っています。

吉川英治は長い付き合いの後に大正13年に赤沢やすという女性と結婚します。
しかし、その後、吉川英治が作家として名を成すようになると、次第に夫婦関係がギクシャクし始めます。
そんな中、昭和5年のある日、散々飲み歩いた挙句、四谷の芸妓に車で送られて帰宅します。
当然、妻はその芸妓との関係を疑います。
一方、妻も執筆に追いまくられる英治の身の回りの世話もせず、遊び仲間と好きな花札に夢中になっている。
ついにいたたまれなくなった英治は、「女中の下駄をはいたまま」出奔します。
それを自分のためだと思った四谷の芸妓がその後を追い、温泉地を彷徨いながら、しばらく一緒に過ごすことになります。

結局この旅暮らしは断続的に翌昭和6年まで、およそ1年間続くことになります。

つまり、昭和5~6年の出来事なのです。

これを昭和10年にしてしまうと、とても困ったことになってしまいます。

実は、昭和10年に出会った女性こそ、先日亡くなった文子夫人のことなのです。

文子夫人と出会ったのは、確かにまだ、やす前夫人との離婚が成立する前のことではあるのですが、その頃には完全に夫婦仲は冷えていて、ごたごたするような状態ではなかったのです。

ここだけはぜひ、訂正してもらいたいと思うのです。

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2006年6月 3日 (土)

エンメイ

馬主としても有名だった吉川英治の所有するエンメイが、日本ダービーで転倒事故を起こし、殺処分された話は前にも書きました。

その問題の日本ダービーが行われたのは昭和31年6月3日。
つまり、ちょうど50年前の今日でした。

前にも書いた通り、吉川英治はこの時、「新・平家物語」を連載していた『週刊朝日』の愛読者大会出席のため関西に滞在しており、帰京したのは6月6日。
翌6月7日に、馬を預けていた田中厩舎を訪ね、エンメイの墓に参り、事故で重傷を負った騎手の阿部正太郎を見舞っています。

この事故の衝撃は大きく、日本中央競馬会では、これをきっかけとして事故防止委員会が設立されたと言います。
また、6月に行われていた日本ダービーを5月に変更したのも、この事故がきっかけだったとか。

というのも、この事故の起きた日、雨で重馬場だったため、これも事故の誘因となったと考えられたからです。
梅雨に入る前の5月に開催することで、馬場の不良を避けるという配慮なのでしょう。

本当に、競馬史に残る大事故であったのだと分ります。

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2006年6月 2日 (金)

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松の木の芽の先にこんなものがあります。
このまま成長すると松ぼっくりになるそうです。
はじめは紫色をしているとは知りませんでした。

長年、草思堂庭園の松は目にしているわけですが、こんなのには気がつきませんでした。

というのも、いつもはこんなになる前に、植木屋が松の芽摘み作業で摘んでしまうからです。
今年は5月の天候不順で植木屋の作業が遅れたため、こうなりました。

普段は見る機会がないものを見られたので、それもまた良しってところでしょうか。

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2006年6月 1日 (木)

ボールと八卦

ゴルフといえば、吉川英治は、自身の奇妙な体験を随筆に書き残しています(今日のタイトルは、その随筆のタイトルと同じです)。

それはゴルフ練習場での話。
自分の打った球が空中で二つに割れたのだとか。

ボールが、宙で二つに割れるなんて、ありえない。しかし、たしかにそう見えたのである。ところが、ぼくから四、五人ほど後にいた人も、奇異な顔を茫然と仰向けている。
「ヘンだな」と向うでも云い「おかしい」とぼくも呟き、顔を見合せて、初めて覚った。
二人のボールとボールとが、偶然にも、空で衝突したのである。

いかに複数の人が同時に球を打つゴルフ練習場としても、まあ、普通にはありえないことです。
球が空中で二つに割れることの方が、まだしも可能性が高いんじゃないかと思えます。
球が古くて傷が入っていたりしたら、起こりそうな気がしますもんね。

一体どれぐらいの確率でこんなことが起こるものでしょうか。
ちょっと、どう計算したらいいかも見当がつきません。

この球をぶつけた二人は、「こいつあ、奇蹟だ、飲みましょうや」というわけで、一晩飲み歩いたそうですが、最後にその男性はふいっとどこかへ消えてしまい、それっきりになってしまったそうです。

世の中には不思議な縁というものはあるものですね。

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