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2006年8月 5日 (土)

武蔵と田村麻呂

ある本を読んでいて、面白い記述に出会いました。

征夷大将軍として、東北の雄・アテルイと戦ったことで知られる坂上田村麻呂について、甲冑を着て、刀と弓矢を持ち、立った姿で埋葬された、という伝説があると言うのです。

さて、熊本市の中心街から少しはずれた所に、武蔵塚というものがあります。
その名の通り宮本武蔵が埋葬された塚であるとされています。
武蔵はここに、遺言に従って甲冑その他を着けて武装した姿で埋葬されていると伝えられています。

なんだかよく似ています。

この武蔵塚は藩主が参勤交代に用いる街道の脇にあり、君恩に報いるために、地下にあってもその行列を守りたいという武蔵の願望から、そのような埋葬がなされたのだとされます。

吉川英治も

細川家の寵遇に対して彼がいかに感銘していたかも思い遣ることができる。同時に、当時の侍の通念である「武士道の完璧」が最期の死に至って完成し、その対象とする侍の奉公というものは、生存中だけの主従関係に止まらず、死後においてもというほど強いものであったことを、ここに見届けておく必要がある。
(「随筆宮本武蔵」『熊本紀行』より)

と書いています。

しかし、坂上田村麻呂の伝承と類似しているとなるとどうでしょう。

征夷大将軍たる坂上田村麻呂の埋葬方法とされるものを、自分も真似てみる。

剣の極意をもって政治にも関わり合いたいと考えていたとされる宮本武蔵が、せめて埋葬の姿だけでも、自分を征夷大将軍になぞらえてみたかった。
幕府を開いた徳川家の手に握られた征夷大将軍の座に、かなうものならば自分が座ってみたかった。

そんな思いが込められているなどと考えるのは、邪推が過ぎるでしょうか。

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