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2006年9月30日 (土)

福井

そのつもりで福井市を訪ねたわけではありませんが、考えてみると、福井市は吉川作品とは縁が深い場所とも言えます。

福井駅近くの柴田神社は柴田勝家の北ノ庄城跡だそうですし、南東に向かうと朝倉義景が城を構えた一乗谷があります。
いずれも『新書太閤記』に、当然ながら登場します。

足羽山にある藤島神社は新田義貞が祭神で、市内には新田義貞の戦死地とされる灯明寺畷があり、そこには新田塚という地名が残っています。
もちろん、『私本太平記』に登場します。

先程の一乗谷には、小次郎の里ファミリーパークなんてのがあるようですが、これは佐々木小次郎の越前出身説に基づくものでしょう。
一乗滝には佐々木小次郎の銅像もあると聞きます。
吉川英治の『宮本武蔵』なかりせば、こんなものは生れなかったでしょう。

その上、橘曙覧の存在です。

これだけあれば、吉川英治自身、福井市に何か足跡を残していてもよさそうなものですが、どうもその形跡がありません。
取材旅行の過程で石川県の山中温泉に宿泊したことは記録にありますし、京都府の舞鶴に出掛けたことは随筆に書いていたりしますが、福井の名は見つけられません。

なんだか不思議な気がします。

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2006年9月29日 (金)

たのしみは

昨日触れた橘曙覧に、「独楽吟」というものがあります。
すべて「たのしみは~」で始まる52首の短歌をまとめた歌集です。
浅学にして、今回、橘曙覧記念文学館に行くまで、私は知りませんでした。

さて、展示を見て、この「独楽吟」のことを知って、吉川英治にも「たのしみは~」で始まる短歌を書いた色紙があったことを思い出しました。

たのしみはいのちのほかになにかあらむながへてすめ有明の月

吉川英治は、これに「古人の詠めるを」と書き添えています。

なるほど、この「古人」とは橘曙覧のことであったか、と思いながら、橘曙覧記念文学館で販売されている「独楽吟」の解説書を見ると、こんな歌は出ていません。
そもそも「独楽吟」の歌は、すべて歌の末尾は「~とき」で終っていますから、その点が一致していません。

当時の福井藩主で橘曙覧と親交のあった松平春嶽が、この「独楽吟」の影響を受けて、やはり「たのしみは~」で始まる歌を残しているということなので、もしかしたらその中にあるのかな、などと考えたりもしますが、確認できていません。

どうも、学の無いことでお恥ずかしいのですが、どなたかご存知ありませんか?

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2006年9月28日 (木)

橘曙覧記念文学館

休暇を取って福井市を訪ねました。

福井市を訪ねたのは仕事とは別の興味からですが、せっかくなので橘曙覧記念文学館に足を運んでみました。

橘曙覧(たちばなあけみ)は、幕末の国学者・歌人。
吉川英治は、この橘曙覧の歌を愛しており、その歌集「志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集」を、わざわざ手帖に筆写したほどなのです。

もっとも、ここへ足を運んだのは、吉川英治が敬愛した人物の記念館ということだけではなく、その所在地である足羽山そのものに、ある興味があったからですが。

さて、橘曙覧記念文学館は平成12年に出来た記念館。
向かいにある愛宕坂茶道美術館(私は立ち寄りませんでしたが)と同時期に整備されたもののようです。

足羽山から産出する笏谷石をふんだんに用いた建物で、小さいながら感じの良い所でした。

ただ、苦言を述べさせていただくと、実物資料があまりにも少なく、パネル類ばかりというのは、とても残念でした。
もともと橘曙覧に関する資料が多くは残っていないのかもしれませんし、残っている資料も既に然るべき場所が所蔵していて、自前の資料がほとんどないのでしょう。

同業者としては、展示担当者の苦労が透けて見える分、何となく悲しい気持になってしまいました。

……なんてエラそうなことが言える程の人間じゃないんですけどね、私は。

なお、この橘曙覧記念文学館の次回特別展「描かれた越前ゆかりの人々――歴史小説を舞台に――」(10月6日~11月12日)には、吉川英治の「新書太閤記」も取り上げられています。
ちなみに、柴田勝家がらみです。

機会があったら、足を運んでみてください。

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2006年9月22日 (金)

本村義雄さん

吉川英治賞40周年記念のイベントの最後は、9月17日の本村義雄さんのお話し。

本村さんは、子供たちへの童話の語り聞かせということに関心を持ち、日本全国の子供たちにお話しを語って聞かせたいという夢を抱いて、自動車に乗って全国を回ったという人です。
自動車に「くまごろう号」と愛称をつけ、自身も「くまごろうおじさん」と呼ばれています。
今までに日本列島を5周もして、各地の幼稚園・保育所や小学校で、童話の口演や紙芝居、手品などを行い、子供たちを喜ばせてきました。

今回のイベントでも、童話、紙芝居、手品などをご披露くださいました。

紙芝居については、レパートリーの中に「巌流島の決闘」があるというので、ぜひそれを、とお願いしてやっていただきました。

ただ、今回、詳しく話を伺うと、この「巌流島の決闘」は、NHKから突然依頼されて、宮本武蔵の謎を探る、というような番組のために特別に製作したため、急ごしらえで、枚数も少ないため、動きが出し難い、不充分な出来のものなのだとか。

吉川英治記念館なのだからと、あえてお願いしたのですが、別のものにしてもらった方が良かったかもしれません。

もう一つ申し訳なかったのは、子供より大人の参加者の方が多かったこと。
基本的に子供向けですから、とてもやり難かっただろうと思います。

おまけに、当日は九州に台風が上陸した日。
その日中に新幹線で北九州までお帰りになるはずが、結局、首都圏に住む親戚宅にもう一泊していただく羽目になりました。

本当に申し訳ありませんでした。

救いは、数少ない子供の参加者が、きゃっきゃと喜んでくれたこと。
それがなかったら、何のために来ていただいたのか、訳がわからないイベントになるところでした。

来てくれた子供たちに感謝します。

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2006年9月21日 (木)

浅田次郎さん

さて、少し間が開きましたが、「吉川英治賞受賞作家と語るひととき」の浅田次郎さんの回の様子をご紹介します。

開口一番、「この中に親戚はいないでしょうね?」とおっしゃるので、何のことかと思ったら、実は浅田さんのお母さんの実家が、記念館からも程近い青梅市内の御岳山なのだとか。
御岳山の山上で宿坊をやっている神主の家系から出た人なのだそうです。
そのため、子供時代からよく御岳山には来ていたし、青梅市内には親戚がたくさんいるので、浅田さんにとって青梅は馴染みのある土地だったのです。

初めて知りました。

ちなみに、「あやしうらめしあなかなし」という作品に、その御岳山を舞台にした話が収録されているのですが、それは子供の頃に御岳山に住む親戚のおばさんから聞いた話を元にしているそうです。
もっとも、以前から御岳山に住む従兄弟から「御岳山のことを小説に書け」と言われていたそうですが、馴染みのある場所というのは、自分の場合小説にし難いということもあって、御岳山を舞台にした作品は今のところこれだけだそうですが。

さて、話は、吉川英治記念館という場所を意識して、浅田さんが読んだことがある吉川作品、「神州天馬侠」「宮本武蔵」「三国志」を取り上げて、作家の目から見ての吉川英治評といった感じのものが中心でした。

そんな中、印象に残ったのは、吉川英治文学新人賞受賞作の「地下鉄(メトロ)に乗って」の裏話。

作品を書くにあたって当時の東京の地下鉄について色々取材したが、ある時、東京で生まれ育った父親に、ふと話を向けてみたら、こんな話をしてくれた。

小学校を卒業すると、家計を支えるために職工となり、ようやく一人前に仕事を任されるようになったと思ったところに赤紙=召集令状が来た。
その頃、東京では地下鉄銀座線が既に開通していたのだが、その運賃は当時、東京を縦横に走っていた市電よりずっと高かった。
貧しかった自分は、だから、子供時代から一度も地下鉄に乗ったことがなかった。
赤紙が来た時、これでもう最後かもしれないから、地下鉄に乗ってやろう、と考えた。
いよいよ出征というその時、職場の同僚たちに見送られながら、生まれて初めて地下鉄に乗った。
ついに地下鉄に乗れたことがとても嬉しくて、「これで戦死しても、俺の人生の釣り合いは取れた」と思った。

その時、その場所に生きた人からしか聞くことの出来ない、良い話です。

この話を浅田さんは作品の中に取り入れました。

実は、浅田さんは、あまり父親との折り合いが良くなくて、しょっちゅう「バカヤロー」と罵り合っていたそうです。

その父親は、「地下鉄に乗って」が単行本になった頃、ガンに冒され入院していました。
病床の父親は、一読するや、「バカヤロー」と言って本を病室の壁に投げつけたそうです。

浅田さんはそれを妹から聞いたそうですが、自分では、この「バカヤロー」は江戸っ子の含羞からくるもので、親愛の情を込めた褒め言葉なのだと受け取っている、そう語られました。

そのことまで含めて、本当に良い話だと思いました。

いやあ、親の話は生きてるうちに聞いておかないといけませんね。

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2006年9月17日 (日)

イベント終了

吉川英治賞四〇周年記念のイベントは、本日の本村義雄さんの会で全て終了しました。
ご来館下さった皆さん、ありがとうございました。

おかげさまで、全て無事終了して、ホッとしています。

いや、小さなイベントでも、4週(英治忌を入れて)続くと、結構疲れますね。

でも、明日も敬老の日のために開館します。

その代わり19日の火曜日が休館になります。

ご注意ください。

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2006年9月16日 (土)

吉川英治賞40周年記念イベント最終週

本日は「吉川英治賞受賞作家と語るひととき」の第3回、浅田次郎さんの回です。

こちらは応募はもう締め切られており、また定員もオーバーしたので、当選ハガキの届いた方しかご参加いただけません。
あしからずご了承ください。
なお、ご応募いただいた方のうち当選ハガキの届いた方はハガキご持参でご来館ください。

そして、明日17日はイベントの最終回「本村義雄さん(くまごろうおじさん)の童話口演と紙芝居」が開催されます。

こちらは参加自由ですので、ぜひ遠慮なくご参加ください。
中学生以下は無料になっています。

時間は11時からと13時からの2回です。

お待ちしています。

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2006年9月15日 (金)

馬塚丈司さん

9月3日は馬塚丈司さんの「ウミガメの話」。

馬塚さんは静岡県浜松市在住で、自然保護団体サンクチュアリジャパンを組織して、遠州灘海岸の環境保全に取り組んでいる方です。

アカウミガメは保護対象の一つであり、象徴的存在ですが、全てではありません。
他にも渡り鳥のコアジサシや海岸に生える様々な植物を保護しています。
その目的は、彼らが生きる砂浜そのものを守ることなのです。

ですが、今回はウミガメを中心にしたお話。

子供対象ということでお願いしたので、子供向けのワークシートをご持参くださいました。

内容は、「ウミガメは何を食べるの?」「ウミガメとリクガメの違いは?」など。

今は広く知られるようになった、ゴミ袋をウミガメが餌と間違えて食べてしまい死んでしまう話なども交えて、ウミガメの生態を説明なさいました。

日本の海岸で生まれたアカウミガメの子供は太平洋を20年ほど回遊して、再び日本にやって来て産卵します。
北太平洋のアカウミガメは日本の海岸の砂浜でしか産卵しません。
その日本の海岸の砂浜が無くなってしまったら、アカウミガメは絶滅するしかありません。
苦難を乗り越えて20年ぶりに帰ってきたら砂浜が無かった、なんてことになったら、ウミガメに申し訳のしようもありません。

その砂浜を失わせる原因の一つが、クルマです。
クルマが砂浜に乗り入れると、砂浜の植物を踏み荒らし、枯れさせてしまいます。
すると砂浜は波の浸食を受けて、削られてしまうのです。

講演の前後に控え室で話した話もちょっと交じっていますが、そんな話をしてくださいました。

実は私も参加したことがあるのですが、サンクチュアリジャパンではアカウミガメの卵を保護し、孵化した子ガメを人間の手で海に放す、放流会を実施しています。

自分の手を経て海に入っていったウミガメが、いま太平洋のどこかにいる。
20年後にはまたここに戻ってくるかもしれない。

そう思うと、この砂浜を守らなければという気になります。
大人の私が思うのですから、子供の心には大きなものが残るでしょう。

興味のある方をこちらをご覧ください。

あの時に自分の手で海に放したウミガメの印象が強くて、ちょっと肩入れし過ぎの文章になりましたね。
でも、それだけのものが心に残りますよ、参加すると。

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2006年9月14日 (木)

諸田玲子さん

9月2日は諸田玲子さんによる「吉川英治賞受賞作家と語るひととき」。

具体的に年齢を書くと怒られるかもしれないのでそこは伏せますが(笑)、諸田さんは外資系企業のOL、編集プロダクション勤務を経て、作家デビューした、という経歴から、まずは話が始まりました。

そのことについて、諸田さんは、何かを始めるのに年齢がいくつであっても遅すぎるということはない、むしろ自分の場合、社会経験を積んできたことが、作家としてプラスになっていると、最近は思うようになった、と話されました。
以前は、もっと若い時に作家になっていたら、もっといろんなことが勉強できたのに、と思っていたそうですが、最近はこのように考えるようになったのだ、と。

このあたり、10代から様々な職を経て、30歳を過ぎてから専業の作家としてデビューした吉川英治の文学観に相通じるものがあります。

その吉川英治について、架空の人物であるお通を、あたかも実在するように宮本武蔵と切っても切れない存在にしてしまった、その力はすごいと述べ、自分も清水の次郎長について、そういうお通のような架空なのに実在と思い込まれるような存在となる人物を創作したい、と語られました。

というのも、諸田さんはずっと次郎長周辺の人物を主人公にした作品を書いておられるのですが、実はご自身が次郎長の末裔で、いつか次郎長を書きたいと思っているのだそうです。
子供のいなかった次郎長の養女となった次郎長の兄の娘が母方のご先祖なのだとか。
そりゃあ、書かないわけにはいきませんね。

これを言うとみんな笑うんだけど、と言って、私は長年時代物を書いているうちに人間が優しくなってきた、と語られました。
それは、いろんな時代のいろんな人たちの人生というものを調べて書いているうちに、人間は決して良いところばかりではないが、それはいつの時代の人間にも共通して言えることなのだと気付き、人間に対する愛おしさを覚えるようになったからだそうです。

そんな諸田さんは近年、現代物の執筆にも手をつけておられます。

諸田さんは編集プロダクションに勤務していた頃、テレビの脚本のノベライズを手がけていて、その中で向田邦子さんの作品を多く扱い、その影響も強く受けたそうです。

この編プロ時代、向田さんの作品に限らず、現代物ばかりノベライズしていたことの反動もあって、時代物を書く作家になったのだけれど、その向田さんが飛行機事故で亡くなった時の年齢を超えたことで、向田さんから、そろそろ現代物も書いてみたらと背中を押されたような気がした。

そんなことを語られました。

この他、あまりおおっぴらには言い難い話もありましたが、そのへんは参加者特典ですね。

ちなみに、前週の宮部みゆきさんはすごく早口で、しかも時間を超過して話されたので、聞き直して内容をチェックするのに少し時間がかかりましたが、諸田さんは落ち着いた語り口調で聞き取りやすく、録音を止めて聞き直す必要がなくて、助かりました。

面白かったのは、宮部さんと諸田さん、同じことに言及されたこと。
それは文学賞にノミネートされた時の話。

賞の発表の日、受賞か落選かは電話で伝えられるそうですが、その電話が作家本人宛にかかってくると受賞、担当編集者などにかかってくると落選という暗黙のルールがあるのだとか。

さて、16日の浅田次郎さんもこの話に触れるでしょうか?
ちょっと楽しみです。

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2006年9月13日 (水)

ガリレオ工房

8月27日は吉川英治文化賞受賞者によるイベントとして「ガリレオ工房のおもしろ化学実験教室」を開催しました。

ガリレオ工房は“学校の荒れ”に危惧を持った滝川洋二氏らを中心として「生徒の好奇心を引き出す楽しい授業」を目標として設立された物理教育実践サークルで、現役教師を中心に結成され、子供たちに科学の楽しさを伝えるとともに、科学と生活を結びつける活動を行っています。
テレビでよく見かける米村でんじろう氏をイメージしていただくと、活動の感じがつかめるでしょう。
実際、米村氏も設立メンバーの一人だそうですし。

当日は、やはり現役の高校の先生が2人ご来館になり、実験を披露して下さいました。

実験のテーマは≪熱≫。

割箸と輪ゴムで温度計を作ったり、アルコールで気化熱を体感したり、様々な実験や工作で≪熱≫とエネルギーについて楽しく学ぶことのできる内容でした。

大まかに言うと、物質は拡散していく時に周囲から拡散するためのエネルギーを奪うので温度が下がる(その代表が気化熱)、逆に集めると熱を出す(難しく言うと断熱圧縮というやつですね)。

このことを実験で経験させた上で、先生方は問いかけます。

その原理を利用したものが、日本のほぼ全ての家庭に2つあるけど、それはなんでしょう?

答えは冷蔵庫とクーラー。

冷媒(冷やすための物質ですね)を、冷やしたい所で拡散させると、そこの温度が下がる。
それで冷蔵庫内や室内の温度が下がる。
でも、拡散させただけでは冷媒が失われてしまうので、冷媒を循環させ、冷やしたい所とは別の場所で圧縮して拡散前の状態に戻す。
その時に熱が出る。
冷蔵庫の外側が温かいのも、クーラーの室外機が熱いのも、そのせい。

冷蔵庫やクーラーは物を冷やすこと自体ではそれほどエネルギーを使わないが、いったん拡散させた冷媒を圧縮して元に戻す時にエネルギーを多く使う。
しかもその時に出た熱は都市の温暖化の原因の一つになる。

そのことの意味をよく考えてみましょう、ということを参加者に投げかけて、実験教室は終りました。

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2006年9月12日 (火)

宮部みゆきさん

諸々一段落着いたので、吉川英治賞40周年記念イベントの模様を順にご紹介していきたいと思います。

まずは8月26日の「吉川英治賞受賞作家と語るひととき」の宮部みゆきさんから。

話は、宮部みゆきさんと、講談社の担当編集者の掛け合いのような形で進みました。

宮部さんは早口でよくしゃべられる方でしたね。
私よりは年齢は上ですが、「おしゃべりな女の子」という感じ。
そう言えば、何度かお話したことのある杉本苑子さんと印象が近いかも。
どちらも小柄で短髪、ついでに独身だし(笑)

内容は、タイトルがタイトルなので、吉川英治文学新人賞の受賞作である「本所深川ふしぎ草紙」のことを中心に、作家デビューから受賞までの時期のことを話されました。
また、受賞作が時代物なので、時代物についての考えなども話の軸となりました。

途中で休憩を入れたとは言え、終了予定時刻を過ぎるほど話されたので、中身は盛りだくさん。
このスペースで紹介しきれるようなものでもないので、私の印象に残ったことだけかいつまんで書いてみます。

受賞作は時代物だが、それはデビューのきっかけとなった小説教室に通っていた時から書いていた。
そこで指導してくれた多岐川恭、南原幹雄からは、時代ミステリーという形でやるのなら、細かい時代考証など気にせずどんどん書けばよい、勉強はあとからでも出来ると後押しされた。
受賞作のテーマとなった「本所の七不思議」だが、これは実家近所の人形焼店の包装紙にそれがイラスト入りで刷られているのを見て思いついた。
デビュー当初、時代物と現代物の両方を書くということに対し、編集者から新人はどちらかに専念した方が良いと言われたり、自分でも悩んだりしていた。もし吉川英治文学新人賞をあの時点で受賞していなかったら、時代物を書くのはやめていたかもしれない。
現在は吉川英治文学新人賞の選考委員になっているが、自分が受賞した時の気持が今も身にしみているので、選考の際は、本当に真剣になるし、自分が押した作品が受賞すると、本当に嬉しい。
現代物は、ミステリーの場合、どうしても殺伐とした現実との関係を考えてしまうし、罪悪感を感じたりしてしまう。 その点、最近は時代物を書く方が楽しい。

出席した方からは、「なんだ、あまり面白くない所ばかり紹介してるじゃないか」と言われそうですが、賞と関わりのある人間としては、こういうところに興味を覚えたと言うことで。
面白い所は出席者の特権として各自の胸にしまって置いてください。

途中で、ある時期多くの作品を並行して書いていたという話になり、「自分はそれでも多くはない、大沢在昌さんなどは新聞2紙、週刊誌1誌、月刊誌3誌に同時に書いていたことがあって、私はそれを聞いて気分が悪くなった」なんていうことを話されました。
実は、会の終了後、宮部さんは記念館の展示をご覧になったのですが、その際に吉川英治がペンネームを変えて一つの雑誌に6編も書いていたことがあるという展示を見て、驚いておられました。
それどころか、月に10作品ぐらい書いていた時期もあるという話をしましたら、「それは無理」って感じの表情をなさいました。

このへんは主催者の特権ですね。

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2006年9月10日 (日)

後片付け

今日は比較的天気が良かったので、母屋に展示していた屏風を片付けました。

と言うのも、毎年、英治忌に出すことになっている屏風があるのです。

それは「新・平家物語」屏風です。

連載の挿絵を担当し、以後様々な形で「新・平家物語」を描いている杉本健吉さんの描いた、作品の名場面の絵を張り込んだ屏風です。

これを毎年、英治忌の1日だけ母屋に展示し、来館者の皆さんに間近でご覧いただいています。

ただ、好天続きの時はいいのですが、今年のように英治忌前後に湿度が高い日が続いている時は、屏風が湿気を吸ってしまうので、そのまますぐに片付けず、しばらく待って天気の良い、湿度の低い日を待って片付けるようにしています。

今年は結局、今日まで置いておくことになってしまいました。

しかし、これでようやく英治忌の後片付けが済んだという気がします。

ようやく気分が平常に戻る、と言いたいところですが、まだ来週の土日にイベント(昨日の記事参照↓)があります。
それが済むまでは、気分が落ち着かないですね。

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2006年9月 9日 (土)

吉川英治賞40周年記念イベントのご案内

本日で「受賞作家と語るひととき」の浅田次郎さんの分は締め切りになります。
既に定員を超えておりますので、抽選の後、ハガキをお送りいたします。
本日中に発送したしますので、月曜日、遅くとも火曜日にはハガキが到着するはずです。
ハガキの届かなかった方は、ご容赦ください。

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財団法人吉川英治国民文化振興会の主催する吉川英治賞は、昭和42年の第1回から数えて、今年で第40回を迎えました。
そこで吉川英治記念館では、「吉川英治賞40年」展を開催するとともに、その期間中に次のようなイベントを開催することになりました。


受賞作家と語るひととき

吉川英治賞の受賞作家を記念館内の旧吉川英治邸母屋に招き、愛読者の皆さんと語り合う催しを開きます。

第1回(8月26日 土曜日)

宮部みゆき氏(第13回吉川英治文学新人賞『本所深川ふしぎ草紙』)(←終了しました)

第2回(9月2日 土曜日)

諸田玲子氏(第24回吉川英治文学新人賞『其の一日』)(←終了しました)

第3回(9月16日 土曜日)

浅田次郎氏(第16回吉川英治文学新人賞『地下鉄(メトロ)に乗って』)

≪要項≫
定 員=50人
応 募=吉川英治記念館まで、はがきかファックスで希望作家名とご連絡先を明記の上、ご応募ください。応募は作家ごとにお願いいたします。複数回に参加希望の方は、それぞれの回に分けてご応募ください。
締 切=各回の1週間前まで(第1回は8月20日、第2回は8月26日、第3回は9月9日必着)。
定員を超えた場合は抽選となります。当選者には折り返し返信いたします。返信なき場合はご容赦ください。
参加費用=800円(吉川英治記念館の入館料500円を含む)

時間はいずれも15時から17時です。開始時間前に館内をご見学いただくことも出来ます。
当日は通知はがきをご持参ください。はがきをお忘れの場合はご遠慮いただく場合がございます。


文化賞受賞者によるイベント

8月27日(日曜日) 11時からと14時からの2回

ガリレオ工房のおもしろ科学実験教室
(身近な材料を使った実験教室を通して自然科学の楽しさを伝えている中学・高校の先生を中心としたグループ。第36回吉川英治文化賞受賞)(←終了しました)

9月3日(日曜日) 13時からの1回

馬塚丈司さんのウミガメの話
(昭和26年生れ。遠州灘海岸で絶滅の危機にあるアカウミガメの保護を中心に環境保全活動に取り組む。第31回吉川英治文化賞受賞)(←終了しました)

9月17日(日曜日) 11時からと13時からの2回

本村義雄さんの童話口演と紙芝居
(昭和5年生れ。日本全国を回って童話の口演を行っている「くまごろう」おじさん。第40回吉川英治文化賞受賞)

定員の許す限りご自由にご参加いただけます(入館料は必要)。
なお、イベントの性質上、入場は子供を優先させていただきます。ご了承ください。

各イベントとも、草思堂母屋内で開催します。

お申し込み、お問い合わせは

吉川英治記念館
〒198-0064 東京都青梅市柚木町1-101-1
TEL0428-76-1575
FAX0428-76-1936

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2006年9月 8日 (金)

英治忌のお礼

昨日の英治忌には、多くの皆様にご来館いただきました。
ありがとうございました。

どうにか一日雨が降らずに済んだおかげで、昨年より多くの方にご来館いただきました。

加えて、吉川文子夫人の没後初めての英治忌ということで、地元の方や親交のあった方が多く顔を出してくださったという面もありました。
感謝いたします。

また、「吉川英治賞の40年」展を開催中ということもあり、吉川英治文化賞受賞者の方も、今年の受賞者の田村*司さん(*は日偏に告)や先日触れた長谷川博さん、青梅在住の本間昭雄さん・麻子さん夫妻など何人かおいでくださいました。

英治忌としては久しぶりにテレビ取材(テレビ東京と東京MXテレビ)もありましたが、実際に放送されたのかどうか、確認できていません。

ご覧になった方、いらっしゃいます?

何にせよ、無事に盛会で終わり、今ホッとしているところです。

来年もよろしくお願いいたします。

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2006年9月 7日 (木)

本日は英治忌

本日は英治忌です。

昨日書いたお茶会やお酒・冷茶のサービスの他、既に開催中の企画展「吉川英治賞の40年」展もご覧いただけますし、吉川夫妻の追悼写真展も屋外で行っております。

皆様のご来館をお待ちしています。

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2006年9月 6日 (水)

明日は英治忌

ということで、いよいよ明日は英治忌です。

例年通り、お酒や冷茶のサービスを行い、来館者全員に紅梅饅頭のお土産がございます。

また、この日だけは、吉川英治が暮らした母屋に入ることが出来ます。

その母屋では、近年恒例になっている裏千家淡交会青年部の協力によるお茶会が開かれます。
お茶席では、紅梅苑がこの日のためだけに製造する「菊一花」というお菓子が出されます。

ちなみに、今年はこの「菊一花」を、9月7日のみ、限定販売します。

なお、今年は吉川文子夫人が亡くなって初めての英治忌になります。
英治忌は、もちろん吉川英治の命日ですが、吉川夫妻、お二人合わせての追悼の一日として、この日を捉えていただければ、うれしく思います。

とはいえ、静かにしんみりと追悼するというのではなく、楽しく、賑やかに一日を過ごしていただければ、その方が故人の意に適うものと考えております。

ぜひ多くの方にお運びいただきたいと願っております。

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2006年9月 5日 (火)

忌日の名称

気になったので、文学者の忌日の名称にどんなものがあるのか、検索してみました。

ここには123の忌日の名称が挙げられています。

それを見ると、半分以上が「名前(あるいは雅号)+忌」というパターンになっています。
吉川英治が「英治忌」だから言うわけじゃありませんが、そういうのがシンプルでいいですね。

まとまった数が見られるのは花や果実の名前。
昨日触れた太宰治の「桜桃忌」もその中に入りますが、「桜桃」というのは彼の著作のタイトルでもあるんですね。
江戸川乱歩の「石榴忌」の「石榴」、梶井基次郎の「檸檬忌」の「檸檬」も、そのようです。
「桜桃忌」を、スカしてると昨日書きましたが、そういうことなら納得も出来ます。
もっとも、梶井基次郎の「檸檬」は代表作ですが、太宰治と聞いて「桜桃」を筆頭に挙げる人はいませんよね。
だからと言って、「斜陽忌」とか「失格忌」ってわけにはいかないでしょうが。

山本有三の「一一一忌」なんて、洒落ていていいですね。
おまけに代表作に「真実路」や「女の生」なんかがあるわけですから、ちょうどいい。
でも、今の子供が見たら、「仮面ライダー555」のパクリかよ、と思うかもしれませんが。

その点、芥川龍之介の「河童忌」は、どうなんでしょう。
「河童」という作品はあるし、本人筆の河童の絵があったりはするものの、なんだか「これはあんまりだ」という気がしてしまいますが。

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2006年9月 4日 (月)

忌日

吉川英治賞40周年のイベントでバタバタしていて、2日ほど更新しませんでした。

イベントと言えば、当館にとって最大のイベントである「英治忌」が、今週の木曜日=9月7日に行われます。

当館の受付の女性職員などは、ついつい「9月7日は英治忌なんです」などと、至極当り前のように来館者に声をかけたりしますが、来館者がキョトンとした顔をすることもしばしばです。
9月7日が吉川英治の命日で、それを「英治忌」と呼んでいる、ということは、内輪の人間や記念館周辺の方々にはわかりきったことでも、一般の方には「なんのこっちゃ?」って話ですよね。

吉川英治は国民的作家であり、「宮本武蔵」や「三国志」など、今でも愛読されている作品は数多くあるわけですが、その命日がいつで、それに特別な呼び名があることまでは、一般の人にとっては、むしろ知らなくて当り前なこと。

太宰治の「桜桃忌」みたいに、スカした、カッコつけた名称にした方が、印象に残りやすくて、一般的になったかもしれませんね。

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2006年9月 1日 (金)

関東大震災

大正12年の今日、関東大震災が発生しました。

何度か書いているように、吉川英治はこれを経験しています。
この時のことを自筆年譜にこう書いています。

九月、関東大震災。社屋焼失。
新聞休刊、社業再起の見こみたたず、全社員一応解散ときまる。焦土の生計として上野の山に葭簀を持ち牛飯を売る。夜々、焦土流離の人々と樹下に眠り、あらゆる境遇と人間の心に会う。――この事より卒然と文学の業の意義深きを感じ、身辺すべての物を売って、十月中、北信濃の角間温泉へ籠る。

関東大震災に遭遇した菊池寛が、大きな衝撃を受け、芸術の無力を感じたという話は有名です。
同年9月6日付の薄田泣菫宛の書簡に、菊池寛はこう書いているそうです。

とにかく、今の東京ではただ喰うことと寝ることが尤も大切なことです。そして、こうした生活に対しては文芸などと云うものがいかに、無用であるかと云うことを感じます。

とても正直な感想だと思います。
災害の時には、それを乗り切るための技術と、最低限の衣食住以外のものは、無用のものに違いありません。

では、吉川英治が感じた「文学の業の意義深」さとは何なのでしょう。

非常事態の中では、確かに文学などは何の役にも立ちません。
しかし、最悪の時を過ぎ、生活を再建していこうとする時、その心に希望がなければ、途方にくれるばかりで、次の一歩を踏み出せません。
苦境にある人の心に希望の火を点すことができるもの、それが文学なのではないか。
日々の疲れを癒し、明日への希望をもたらすことこそ、文学の役割ではないか。

そういうことなのだと思います。

吉川英治は、この9月1日という日について、こう書いています。

忘れよといっても、僕には、忘れ得ない日である。折にふれ、事にふれて、僕は常住その日の回顧を心のいましめとしている。(略)
震災記念日は、僕個人にとれば、文筆生活の記念日だ。
(『草思堂随筆』所収「心の友」より)

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