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2006年10月22日 (日)

吉川英治の主宰雑誌

昨日触れた吉川英治の主宰雑誌について、少し詳しく説明してみましょう。

『衆文』は、昭和8年8月号から9年10月号まで刊行されました。

昭和6年9月28日から昭和8年5月10日までにかけて、平凡社から「吉川英治全集」全18巻が刊行されました。
存命中、それも本格的な作家デビューからわずか8年目という時期に「全集」が出るというのもすごい話ですが、それはさておき。

この全集には毎号、20ページ近くもある分厚い月報が付録につけられました。
吉川英治は、この月報を読者との交流の場と捉え、随筆や小説をここに連載するほど力を注ぎました。

全集の刊行が終了した後、この≪読者との交流の場≫という役割を引き継がせるべく創刊されたのが、『衆文』です。

月報から雑誌へと格上げするにあたって、当時の大衆文壇の作家たちに執筆を依頼、そうそうたるメンバーが寄稿しています。
特にその刊行中に亡くなった佐々木味津三と直木三十五に対する追悼号は、文学史的価値も高いものです。

なお直木三十五追悼号については「直木三十五全集別巻」(平成3年7月6日 示人社)の中に復刻されています。

また、『衆文』の総目次が「吉川英治 人と文学」(尾崎秀樹 昭和56年8月5日 新有堂)に掲載されています。

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