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2006年11月24日 (金)

蟹江紀行―その3

句碑を訪ねた後、「文学散歩道」と名付けられた佐屋川河畔を歩きました。
書簡にはこうあります。

御案内に従うて行くほどに行くほどに畷道の長さにはいささか凍え心地に御座候いし
然しあの畷はいかにも水郷的之趣に富み 春の半頃にてもあればさだめし歩み飽きぬ所なるべく 関東地方なれば利根沿岸の田舎 潮来あたりにも比見べきかなどと存候

なるほど、その風情は確かにあります。
また、散歩道は桜並木になっていて、春にはさぞ美しいだろうと思います。
写真は夜寒橋から見た佐屋川で、左岸が文学散歩道の桜並木です。
Sayagawa

とは言え、川に向けて造られたゴルフ練習場から打ち込まれる球が、ポチャン、ポチャンと水柱を立てる有様は、ゴルフ好きだった吉川英治でも、敬遠しそうな気もしましたが。


Kashima
「文学散歩道」を歩いた先に鹿島神社があります。
ここには吉川英治の句碑の発起人の一人でもある黒川巳喜の尽力によって造られた「鹿島神社文学苑」があります。
参道の両側に蟹江ゆかりの文人の文学碑を集めたものです。

吉川英治と縁のある人のものはないかと見てみると、狩野近雄の名がありました。

佐屋川や水深まりて秋沈む

とあります。
Kanou
狩野近雄は毎日新聞の学芸部長を務めた人物です。
吉川英治が「私本太平記」を毎日新聞に連載していた時には既にその役職からは外れていましたが、昭和36年3月の取材旅行には同行しています。

ちなみに、翌日、ついでに足を延ばした津島市の津島神社の境内には与謝野晶子の文学碑がありました。
あまりイメージにないかもしれませんが、与謝野鉄幹・晶子夫妻と吉川英治には交流がありました。
若き日に川柳の師としていた井上剣花坊を介して、知遇を得ていたのです。
そんなこともあって、吉川英治の随筆の中には、時々与謝野夫妻の話が出てきます。
と言っても、文学史的にどうこう言うような話は出てきませんが。

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