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2006年11月23日 (木)

蟹江紀行―その2

さて、吉川英治の句碑は蟹江川と日光川に囲まれた地区にあります。
住所で言うと蟹江新田字下西野。
事前に、かつて句碑を訪ねた人から、「田んぼのはずれの何もない場所」にあると聞いたのですが、なるほど、田んぼの中の農道が日光川にぶつかる地点、二つある野球場の境にある土手の上に句碑はありました。
すぐそばには大澪排水機場があります。
近鉄蟹江駅から3キロ弱。

句碑は昭和39年、佐藤観次郎、河瀬佐太郎、黒川巳喜らを発起人として建てられたもの。
設計も黒川巳喜。
ちなみに黒川巳喜は建築家・黒川紀章の父で、自身も建築家であり、俳人でもあるそうです。
Kuhi_1

吉川英治の「佐屋川の土手もみじかし月こよひ」の句を刻んだ石と、作家・井上友一郎による碑銘(写真右側)とがあります。
井上友一郎の「蟹江の文学碑」(『吉川英治全集月報40』所収)によると、碑銘はもともと尾崎士郎が書くはずだったが、尾崎の死によりお鉢が廻ってきたものだとか。
左側の木は、もともとは松だったそうですが、枯れてしまったため植え替えたものだそうです。

Kuhi_3
しかし、この句碑、どうも構造物として不可思議なものです。
その点を翌日、歴史民俗資料館の学芸員の方に伺ってみると、この場所には永久構造物を造ってはいけないということで(堤防だからでしょうか)、このような形になったのだそうです。

ちなみに、天幕を張って野点が出来るような設計になっているということで、そのためにちゃんと炉も切ってあるそうですが、野点をする機会もないので、今はそこに花が植えられ、案内看板が立てられています。

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