« 読書随所浄土 | トップページ | 蟹江紀行―その1 »

2006年11月19日 (日)

自筆解説

昨日、菊池寛の名を出しましたが、吉川英治と菊池寛と言えば、戦後の昭和23年に出版された新潮文庫の短編集「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」の巻末解説を菊池寛が自分で書き、吉川英治の名を借りて発表したことは、文学史上よく知られたエピソードでしょう。

そこで菊池寛は、自分は日本の封建思想の打破を目指してきたリベラリストなのだということを書いているわけですが、その名を借りた吉川英治に対しては、こう述べていたということを、昨日触れた「菊池寛氏と私」の中で、吉川英治が書いています。

菊池さんほど、云いたいことを率直に云えた人はまず少ない。イヤだとおもうことは相手のいかんによらず、「イヤだ」とまッすぐに云える人だった。(略)
だが、その云える人が、戦争中にはやはり云えないことのみにぶつかった。終戦後もまだそうだった。この数年に、氏がめッきり老けこんだのは、精神的なそれに起因するところが多かったように見られた。
菊池さんは人間好きである。(略)
その人間菊池が、人間の中に減失を感じ、人間ぎらいになりかけた傾向が終戦後にはちらちら見られた。(略)よく私に云っていたことは、「自分はいつも中道をあるいているんだ。だから自然、時勢が極右すると自分の位置が左視され、時勢が左傾し出すと、今度は急に右視された。これでは中庸も何もあったものじゃない。正しいリベラリストの節操を保つことは日本では苦行にひとしい」という思いだった。この託ちごとは近来何度も聞かされた。私は氏のその思いにいつも同情を禁じ得なかった。

菊池寛が自分の思いを書き残すのに吉川英治の名を用いたのは、芥川龍之介や横光利一など吉川英治よりも関係が深かった友人たちを既に失っていたこともあるのでしょうが、こうして思いを語り合っていたこともその理由なのでしょう。

|

« 読書随所浄土 | トップページ | 蟹江紀行―その1 »

コメント

エントリーと関係は無いですが、思いだしたことがあります。
確か極真空手の大山さんが、やくざの用心棒時代に吉川英治の宮本武蔵を読んで、山ごもりをし、自然石を手刀で割るほどに鍛えたそうです。
それで吉川英治と会っていたと思います。

投稿: 風来 | 2006年11月21日 (火) 01時55分

> それで吉川英治と会っていたと思います。

この事は、大山倍達氏が自著にも書いていることですね。
ただ、亡くなった吉川夫人や、館長でもある長男の吉川英明氏に尋ねても、記憶にないのだとか。
吉川英治のもとには有名無名の様々な人が訪ねて来たそうです。
作品に感動したので一度会いたい、というような人はいちいち記憶していられないくらいだったんじゃないでしょうか。
そんな中の一人として大山氏が吉川英治を訪ねたのは事実なのでしょうが、記憶に残るほどの出会いとまではいかなかったのでしょう。
大山氏と吉川家の間にはその後、特に交流などもなかったようですし。

投稿: 片岡元雄 | 2006年11月22日 (水) 18時28分

風来です。名前を変えました。
そうですか。ちょっと残念です
合気道の有名な先生の元、財界人があつまっていたと書いていて、その中に吉川英治の名前がありました。有名人なんですね。。

それともう一つ、市川雷蔵という役者も好きだったようです。
http://www.raizofan.net/link11/shitumon.htm
水上勉など、吉川英治を尊敬しているという方を見つけるたび、嬉しくと思っています。

投稿: 忍 | 2006年11月24日 (金) 16時01分

こんにちは。
大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。
終戦直後の菊池寛(文藝春秋)もとりあげています。
よかったら、寄ってみてください。

http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611

投稿: kemukemu | 2007年2月 5日 (月) 22時27分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 読書随所浄土 | トップページ | 蟹江紀行―その1 »