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2006年11月22日 (水)

蟹江紀行―その1

蟹江町歴史民俗資料館に12月3日まで吉川英治の書簡や遺墨が展示されているとの情報をいただいたので、定休日と休暇を絡めて愛知県蟹江町に一泊してみました。

元『中央公論』編集長で、後に衆議院議員となった佐藤観次郎と交流のあった吉川英治は、その佐藤の郷里である蟹江町を何度か訪れています。
それを記念して吉川英治の句碑が建てられていることは以前このブログで触れました。
吉川英治には蟹江町の印象などを書いた随筆は特にないのですが、吉川英治全集および吉川英治文庫の中に含まれている「書簡集」に、昭和20年4月に蟹江町の河瀬佐太郎に宛てた書簡が掲載されていますので、適宜引き合いに出しながら、蟹江町を歩いてみます。

11月20日、近鉄蟹江駅に降り立った私は、歴史民俗資料館は月曜日が休館ということなので、まず吉川英治の句碑を目指すことにして南の方へ歩き始めました。
車の多く通りそうな道を避けて、舟入地区の細い路地の中を歩いて行きます。歴史のある街は路地に味があるものですが、ここも良い感じです。
やがて、路地は蟹江川にぶつかります。
持参した地図には「二ツ矢橋」というのがあり、その橋で対岸に渡ろうと思っていたのですが、改修工事中であったため、その北の月見橋という橋を渡りました。
後でわかったのですが、この「二ツ矢橋」を吉川英治はおそらく渡っています。
歴史民俗資料館の学芸員の方によると、吉川英治が訪問した河瀬佐太郎宅はかつて、この「二ツ矢橋」そばにあったというのです。
吉川英治の書簡にはこうあります。

尊宅の前なる二軒家橋の辺りと尊宅の半洋風の一楼とは何共極めておもしろき対照にて今も眼にのこり居候
わけて橋の名二軒家というを偲べば往古この辺りの宿場的情調もおもわれ橋の古びも家々の漁家の佗びたるさまもなかなか捨てがたきもの有之よう被存候

吉川英治の記憶違いか、それとも後に橋の名が変わったか、「二ツ矢橋」を「二軒家橋」と表記しています。おそらく読みはどちらも「ふたつやばし」なのだと思いますが。

いずれにせよ、吉川英治が渡ったであろう橋を渡りそこねてしまいました。
残念です。

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