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2006年11月16日 (木)

子供時代の読書

今日は押川春浪の命日だそうです。
明治時代に「海底軍艦」などの冒険小説で人気のあった作家です。

吉川英治の自叙伝「忘れ残りの記」を見ると、押川春浪も、吉川英治の子供時代の読書のラインナップの一つだったようです。

その南太田尋常高等小学校の裏門すぐそばに、貸本屋の看板が懸っていた。(略)
貸本屋の主人公は、学校の小使いさんだった。だから顔も分っていたし、ぼくの家庭も知っていた。鞄を外すと、そこの薄暗い小部屋に倚りかかって日に一冊ずつ読んで帰った。それがおもしろくて止められなくなっていた。(略)
いわゆる大阪版という講談本だ。厚ぼったいが、読みではなく、一時間か一時間半で一冊は読めてしまう。半年もたつと、もう小使いさんの家の棚には、僕の読むものはなくなってしまった。(略)
貸本屋を卒業すると、まもなく縁日の露店の古本屋で、涙香の翻訳物や押川春浪の冒険物などを漁り出し、それが昂じて、すぐ帝国文庫へ手をつけ出した。何しろその頃の旺盛な読書欲は、蚕が桑を食うような早さであった。本を買うのに、小遣いが間にあわないのである。帝国文庫に眼をつけ出したのは、何しろあの五、六百ページもある厚さが魅力だったのだ。(略)
(『「梅暦」読み初めし頃』より)

年譜からすると、これが10歳の頃の様子です。

この少し前、7歳頃の読書の様子も出てきます。

巌谷小波の“世界お伽噺”を知って、それに読み耽ったのもこの頃からである。ぼくの読書の初めといっていい。博文館の少年世界は、まだ少し難しい感があった。(略)
たしか定価は一部七銭だったと思う。家庭では、そうそう七銭の本は買ってくれないのである。(略)
貸本のお伽噺は、すべて一冊一銭だった。だが、馴れて来ると、一銭持って一冊借りにゆき、格子の外から歩き歩き読み初める。そして読み終ってしまうと、途中から又、大急ぎで引返して「小母さん、これはもういつか読んだ本だからほかのと取り換えてくんない?」とべつな本を借りて帰ったりした。
(『牛乳と英語』より)

この後、この小細工がばれて、恥ずかしい思いをするという話も出てくるのですが、それは措くとして。

テレビもラジオもない時代だったとはいえ、ものすごい読書の仕方です。

「忘れ残りの記」には、もう1ヶ所、自身の読書暦について書かれたところがあります。

(略)ぼくらはそろそろトルストイだのモウパッサンだの、やれ江戸文学では秋成か西鶴だなどと小生意気をいい出していたので、曙山や黙禅や幽芳などではあきたらなくなり、よく分からないくせに四迷、独歩を経て、また泉鏡花に傾倒していた。誰もいちどは罹るという鏡花病にぼくもそろそろ初期程度の徴候をもち出していた。
文学者になりたいとか、将来、その方面にどうとかいう考えなどを、ぼくは当時も以後も、いちども持ったことはない。とまれ唯好きであったに過ぎない。だから読書の選択なども手当たり次第で、押川春浪の冒険小説の類でも、その一冊に興味をもつと、春浪物全部を漁りつくして読破しなければ気がすまないという風だった。
(『赤レンガ』より)

実はこの部分は、文章の流れが年譜とうまくかみ合っていないので、正確には何歳の時のことかわかりませんが、本人は≪十二歳頃≫の感覚で書いているようです。
ちなみに、吉川英治は文中の自分の年齢を数え年で書いていますので、満年齢なら10歳のことです。

10歳で押川春浪は、まだ可愛いものですが、10歳でトルストイ・モーパッサンときては、ちょっと引いてしまいますね。

明治の子供っていうのは、早熟だったんですね。

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