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2006年11月26日 (日)

蟹江紀行―その5

さて、句碑と並ぶ今回の旅の本題である吉川英治の書簡です。
いずれも吉川英治から反町栄一に宛てたもので、昭和26年10月16日付と昭和30年12月30日付の2通です。
どちらも軸装されています。

吉川英治は昭和26年10月10日~15日に、「新・平家物語」取材旅行として福島県・新潟県を旅しています。
その際、新潟県内の案内役として同行したのが反町栄一です。
前者の書簡は、この取材旅行の案内をしてくれたことへの礼状です。
現在記念館となっている吉野村の自宅に帰宅した翌朝に書いたもののようです。

反町栄一は山本五十六と同郷(新潟県長岡市)で、長岡中学・海軍兵学校の後輩にあたり、「人間山本五十六」の著者として知られています。
実は吉川英治は戦時中、海軍の嘱託として「大日本海戦史」を執筆する予定でした。
これは結局執筆されませんでしたが、海軍関係ではニューギニアで玉砕した海軍大佐・安田義達を描いた伝記小説「安田陸戦隊司令」を書いています。
そのことが頭にあったので、二人は海軍を通じて戦中に知り合っていたのかとも思いましたが、この書簡の文面を見ると、この取材旅行の時が初対面だったようです。
それがはっきり分かったことは収穫でした。

一方、後者の書簡は、反町栄一からお歳暮に鴨を贈られたことへの礼状です。
当時の秘書が残した記録を見ると、確かに鴨2羽が送られてきたことが書かれています。
ただ、記録によると鴨が送られてきたのは12月18日で、20日に「礼状済み」との記載があり、書簡の日付と合いません。
実はこの時、吉川英治は熱海にある別荘に滞在しており、不在でした。
ですから、20日の礼状というのは秘書が代筆したもので、後から改めて自分でも礼状を書いた、ということだと思われます。

秘書による記録は数年分しか残されていないのですが、翌年の昭和31年にも反町栄一から鴨2羽が届いたことが記録されています。
また、書簡には「信濃川の鴨今年もお送りいただき」とありますので、少なくとも昭和29年にも届いていたことは間違いないでしょう。

ちなみに、昭和31年の記録の中に、黒川巳喜の名を見つけました。
お歳暮として「干はぜ」を贈られたようです。
これも蟹江の名産なのでしょうか。

さて、蟹江町歴史民俗資料館を辞した後、趣味で色々そのあたりを歩いてから、蟹江を離れたのですが、それは吉川英治とは関係がないので触れません。

末筆ながら、蟹江町民俗資料館では色々資料を頂戴したりするなど大変お世話になりました。
お礼申し上げます。

お近くの方は、12月3日までの展示ですので、ぜひ足を運んでみてください。

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