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2006年12月 8日 (金)

多磨霊園探訪 その4

直木三十五追悼碑からまっすぐ北上した所に、その碑を建てた菊池寛の墓所があります。
が、その前に、北西にある野村胡堂の墓所を訪ねました。
Kodo

吉川英治と野村胡堂は、その馴れ初めははっきりしないのですが、大正時代の終わり頃には交流があったようです。
野村胡堂がまだ報知新聞在職中だった頃に、その報知新聞に野村胡堂の推薦で吉川英治が「江戸三国志」を連載(昭和2年11月22日~4年2月24日)したことなどが知られています。

墓所には、その野村胡堂と妻・ハナの年譜が設置されています。決して著名人というわけではないハナの年譜まであるところに好感が持てます。

そして菊池寛の墓所へ。
菊池寛と吉川英治の付き合いは、吉川英治自らが

菊池さんと私の交友は、年月は長いが、まことに淡々たる交わりだった。交友は淡なること水のごとくに――とむかしのたれかが訓えていたそのように私は菊池さんに心がけて交わった。(『菊池寛氏と私』「折々の記」所収)

と書いているようなものでしたが、多くの局面で行動を共にし、交わりの淡さとは逆によく理解し合っていた関係だったと言えると思います。
Kan

菊池寛という人は、身なりにあまり構わず、食べこぼしなどにも無頓着、顔もほとんど洗わない、というような人だったそうで、当館館長の吉川英明も、実際に会った印象を「これが本当にそんなに偉い人なのかと思った」と言います。
そんな人物像とは反対に、その墓所は、非常にすっきりと品良くまとまっています。
ちなみに、「菊池寛之墓」の文字は川端康成によるものだそうです。

菊池寛の墓所から北東に亀井勝一郎の墓所があります。
Kamei
吉川英治と亀井勝一郎の交流というのは大きなものではないのですが、亀井勝一郎は吉川英治から大衆文学関連の蔵書を譲り受けており、それは現在、日本近代文学館に「亀井勝一郎文庫」の一部として所蔵されています。

墓石の左手にある石碑に刻まれた「歳月は慈悲を生ず」という言葉が印象的です。

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