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2006年12月 3日 (日)

住井すゑ、小川芋銭

先日、茨城県からいらしたお客様が、こんな話をしてくださいました。

近所に住井すゑが住んでいて、親しくしていたのだが、よく小川芋銭の絵を吉川英治に買ってもらった話を聞かされた。

このエピソードは、先年製作された映画『住井すゑ 100歳の人間宣言』の中にも取り上げられているもので、もう少し詳しく書くと、こういう話です。

「橋のない川」で知られる作家の住井すゑは、昭和10年、夫である犬田卯の喘息の療養、夫妻の作品に対する官憲の圧迫などの理由により、東京から夫の実家である茨城県牛久村(現牛久市)に移住します。
しかし、その生活は非常に苦しいものであったため、同じ牛久に住み、懇意にしていた画家・小川芋銭に援助を求めます。
これに対して小川芋銭は、自分も裕福ではないのでお金はあげられないが、自分の絵をあげるから、それを売って生活の足しにしなさいと言って、絵を住井すゑに託します。
住井すゑはその絵を持って吉川英治を訪ねますが、吉川英治は何も言わずに絵を買い取ってくれ、そのおかげで生活の苦境をしのぐことができた。

先日のお客様の話では、「当時の文壇でお金を持っていると言えば、吉川英治と島崎藤村だと考えて、この二人の所を訪ねたが、島崎藤村は絵を買ってくれなかった」と、住井すゑはいつも話していたとか。

吉川英治が住井すゑを援助したというのは、イメージ的には意外かもしれません。
しかし、吉川英治はイデオロギーの右左ということには執着がなく、実際、左右どちら側の人間とも交流がありました。
また、農村青年の教化のために自ら日本青年文化協会を立ち上げるなど農村問題には強い関心を持っていましたから、その点で共通性がないわけでもないのです。

ところで、住井すゑが小川芋銭の絵を吉川英治に売りに行ったのは、一度だけではなく、度々のことだったそうです。
それならば、吉川家には大量に小川芋銭の絵が残っていて然るべきところです。

実は、『住井すゑ 100歳の人間宣言』の製作者から、このエピソードを取り上げるにあたって、吉川英治が購入した小川芋銭の絵を撮影したい、という申し出があったので、吉川家に確認を取ってみたのですが、今はそれらしいものは1点も残っていないという答えでした。

小川芋銭の作風は、吉川英治の好みではないということはないと思うのですが。

不思議と言えば不思議ですが、おそらくは人に譲ったのでしょう。
つまり、小川芋銭は嫌いではないが、所有に執着するほどでもない、というところでしょうか。

となると、絵を買ってあげていたというより、ほとんど無償援助していたのと同じですね。

太っ腹だ。

071108追記
この文章にはちょっと勘違いがあったようです。
こちらの文章で補足していますので、ご覧下さい。

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コメント

はじめまして!
「住井すゑ  小川芋銭」をキーワードにネット検索して貴サイトに遭遇しました。
記事、興味深く読ませていただきました。
一文、転記もさせてもらっています:
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2007/01/post_0a40.html
TBしたかったのですが、URLが分からず、コメントさせてもらいました。

投稿: やいっち | 2007年1月 6日 (土) 17時16分

ご来訪およびコメント、ありがとうございます。

参考までに、トラックバックの際のURLですが、各記事の下にある「固定リンク」というところをクリックして個別記事を表示させるとわかるようになっています。

投稿: 片岡元雄 | 2007年1月 7日 (日) 10時53分

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