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2006年12月 7日 (木)

多磨霊園探訪 その3

横光利一の墓所から北東、正門から北東に斜めに延びる通りのロータリーの近くに「直木三十五追悼碑」があります。

碑文は以下の通り。

直木三十五ノ
文名ハ自ラ不
朽ニシテ金石
ニ刻シテ後世
ニ傳フルノ要
ナキヲ信ズタ
ダ知友彼ヲ偲
ブノ情此處ニ
コノ碑石ヲ建
ツ後人コノ碑
畔ヲ過ギリテ
思ヒヲ彼ノ作
品ニ走スルコ
トアラバ幸也
昭和十年二月二十四日
菊池寛撰
菅虎雄書

吉川英治はこの碑のことを随筆『友情碑』(「草思堂随筆」所収)の中で、こう書いています。

直木三十五の記念碑が建った。多磨墓地の住んでもみたいようないい場所である。(略)あの男らしい着流しの石碑で、今に、あの辺を散歩する者が、足やすめによりかかって直木の頭にひじをかけながら恋を語っても、怒りそうもない設計である。
誰も知っているとおり、これはもっぱら菊池寛の面倒見のよい友情で建ったので、碑銘の撰文も菊池寛になっている(略)、文辞も菊池寛のふだんのままで、いかにも友達が建てたものという友情があふれていて、国家碑にも、戦役碑にも、社団碑にも見られない、一つの「友情碑」を見せている。

この文章からイメージしていたもの以上に、実物は小さな碑でしたが、確かに、シンプルながら良く行き届いたデザインの碑であると思います。

ちなみに吉川英治は、上記の文章に続けて、こんなエピソードも書き残しています。

(略)除幕式の時に、参列者の中にいた故人の愛人が、そばの女性にささやいて、
「あたし、会いたくなってしまったわ」
とツイ言ってしまった。この際、甚だ怪しからんのろけだとは思ったが、そういう気持を呼び起こさせるほどこの碑の方がふだん着なのだからやむを得ない。
(略)
直木に聞えたら、
「ばかっ」
と顔のやり場に困るだろう。

吉川英治は、随筆『直木三十五のこと』(「草思堂随筆」所収)の中で、直木三十五を同じ大衆文壇を支えてきた「戦友」と書いていますが、「戦友ではあっても、彼の自尊毒舌ぶりや、彼の傍若無人さには、正直、時には不快を感じ、暗黙の競争心を煽られた」とも書いており、親友と言うよりはライバルと言った方がふさわしい関係に思えます。
それでも、この随筆『友情碑』には、直木への深い情が感じられます。

Naoki
そんな、数多くの人の情を結晶した碑ですが、残念ながら、今はあまり顧みられているように見えませんでした。
実はこの写真のフレームの外は、落葉(それに少々のゴミ)が山のように集められているのです。
小さな碑なので、埋まりそうです。

少し悲しくなってしまいました。

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