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2007年1月31日 (水)

ハーモニカ

今日はハーモニカ奏者の宮田東峰の命日(1986年)だそうです。

吉川英治とは何の関係もない人のように思えますが、実は、元々同じ会社の同僚でした。

吉川英治は大正11年から12年にかけて、東京毎夕新聞社に家庭・学芸面の記者として勤務しています。
その時、同社の校正部で働いていたのが宮田東峰でした。

検索してみると1898年生まれとありますから、1892年生まれの吉川英治よりは6歳年下ということになります。

尾崎秀樹著「伝記吉川英治」には、二人についてこう書かれています。

ハーモニカで有名な宮田東峰も校正部にいた。まだ二十歳前の青年で、誰もこの青年が後年ハーモニカの権威になろうなどとは夢にも思わなかった。しかし、その頃からすでに、ハーモニカは手離したことがなく、夕刊新聞であるために、二時過ぎになるとほとんどガランとしてしまう編集部にやってきては、よくハーモニカを吹いていた。英治の好きな「カルメン」の曲などを、力をこめて吹いてくれたものだ。

細かいことを言うと、吉川英治が東京毎夕新聞にいたのは満年齢で29~31歳の時ですから、宮田東峰が「二十歳前」ということはないのですが、なんにせよ、このように親しくしていた時期があったのです。

ちなみに、記録によると、吉川英治は、昭和35年5月10日に上野精養軒行われた「宮田東峰ハーモニカ五十年」の会に出席しています。
1960年に「ハーモニカ五十年」なら、1910年にハーモニカと出会っていたということで、生年からするとその時、満12歳。

いや、だからどうということはないのですが。

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