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2007年1月22日 (月)

老美人と歴史

ところで、随筆「霜庭春語」では、そのようにして男性を列挙した後に、こんなことを書いています。

美人といえば、むろん若いという意味をふくむが、老美人というものもある。多くは知らないが、先年、三淵忠彦氏の未亡人を小田原に訪ねたとき、裏の椿山荘から石段を降りてきた七十幾歳かの老美人があった。むかし山県有朋氏の何かであったと聞いたが、梅樹の下であいさつしたとき、何か中華の美人画を想い出したことである。

この文章には後日談があります。

この老美人に出会ったのは、昭和27年1月に「新・平家物語」の取材をかねて、志賀直哉らとともに伊豆半島を旅した時のこと。
この旅を回想する座談会(「新・平家今昔紀行 伊豆の巻」)の中で、このことにも触れています。

それによると、この「霜庭春語」を発表した後、この老婦人から人づてに抗議された、というのです。

吉川英治は、「山県さんの側室」と書くのをはばかって「山県さんの何か」と書いたのですが、それを「失礼だ」と言われたのだとか。
この老婦人にとっては「山県有朋の側室」であったことは、生涯の誇りであって、それを「何か」と書いたのでアベコベに叱られた、と吉川英治は発言しています。

時代や立場によって、ものの受け取り方は異なります。

明治生まれの吉川英治にとっても、側室ということははばかられるものとなっていたわけですが、当人にとってはそれが誇りであった。

歴史を見る上では、そうした感覚の違いというものにしばしば出くわします。

歴史時代小説作家である吉川英治としては、ちょっと失点という感じですが、幕末・維新から敗戦後までの年月の価値の移り変わりの速さも同時に感じるエピソードだと思います。

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